ざまな燃えるような紅や紫の花の咲いている花壇のなかをぶらついていた。その時、その花壇にT字形をなして面している植物実験室の中から、硝子戸《ガラスど》ごしに私の名前を呼ぶものがあった。見ると、それは魚住《うおずみ》と云う上級生であった。
「来て見たまえ。顕微鏡を見せてやろう……」
その魚住と云う上級生は、私の倍もあるような大男で、円盤投げの選手をしていた。グラウンドに出ているときの彼は、その頃私たちの間に流行していた希臘《ギリシヤ》彫刻の独逸製の絵はがきの一つの、「円盤投手《ディスカスヴェルフェル》」と云うのに少し似ていた。そしてそれが下級生たちに彼を偶像化させていた。が、彼は誰に向っても、何時《いつ》も人を馬鹿にしたような表情を浮べていた。私はそういう彼の気に入りたいと思った。私はその植物実験室のなかへ這入《はい》っていった。
そこには魚住ひとりしかいなかった。彼は毛ぶかい手で、不器用そうに何かのプレパラアトをつくっていた。そしてときどきツァイスの顕微鏡でそれを覗《のぞ》いていた。それからそれを私にも覗かせた。私はそれを見るためには、身体を海老《えび》のように折り曲げていなければな
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