風に私たちの歩いている山径《やまみち》の見当がちょっと付きかねていたのだけれど、私はわざとそれを冗談《じょうだん》のように言い紛《まぎ》らわせていたのだった。
――その日、私が私の「美しい村」の物語の中に描《えが》いた、二人の老嬢《ろうじょう》たちのもと住まっていた、あの見棄《みす》てられた、古いヴィラの話を彼女にして聞かせると、それをしきりに見たがったので、私自身はもうそんなものは見たくもなかったのだけれど、その荒《あ》れ果てたヴェランダから夕暮《ゆうぐ》れの眺めがいかにも美しかったのを思い出して、夕食後、ともかくもそのヴィラまで登って行ってみることにした。恐らくあの家はまだあのまんまになっているだろうと予想しながら。……が、だんだんそのヴィラが近づいてくるにつれ、私は何んだか急にそんな自分の夢《ゆめ》の残骸《ざんがい》のようなものを見に行くのが厭《いや》な気がし出したので、そろそろ日が暮れかけて来たのをいい口実に、まだ山径がこれからなかなか大へんだからと言って、私たちはその途中から引っ返すことにした。――その帰り途《みち》、私はその代りに、まだ彼女が知らないというベルヴェデエルの丘《おか》の方へ彼女を案内するため、いましがた登ってきたのとは異《ちが》った山径を選んでいるうちに、どう道を間違《まちが》えたのか、そのへんからもう下り道になってもよさそうな時分だのに、いつまでもそれが爪先《つまさ》き上りになっていて、私たちはその村の中心からはますます反対の方へ向いつつあるような気がしてきた。まだこの村にこんな私の知らない部分があることを心のうちでは驚《おどろ》きながら、しかし私はそのへんをいかにも知り抜《ぬ》いているように装《よそお》いながら、さっさと彼女を導いて行った。が、私たちはともすると無言になるのだった。……いつのまにやらもうすっかり日が暮れていた。私たちの歩いている道の両側の落葉松《からまつ》などが伸《の》び切って、すこし立て込《こ》んでいたりすると、私はほとんど彼女の着ているワンピイスの薔薇色《ばらいろ》さえ見さだめがたい位であった。ただときどき彼女の肩《かた》が私の肩にぶつかるので、自分の傍《そば》に彼女を近ぢかと感じながら歩いていた。そうかと思うと、木立の間からだしぬけにその奥《おく》にあるヴィラの灯《あか》りが下枝《したえ》ごしに私たちの肩に落ちて
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