ていた。しかし私はいま自分の感じていることが何処《どこ》まで真実であるのか、そんなことはみんな根も葉もないことなんじゃないかと疑ったりしながら、気むずかしそうに沈黙《ちんもく》したまま、自分の足許《あしもと》ばかり見て歩いていた。そうして私は、そんな自分の疑いに対するはっきりした答えを恐《おそ》れるかのように、いつまでも彼女の方を見ようとはしないでいた。が、とうとう私は我慢《がまん》し切れなくなってそんな沈黙の中からそっと彼女の横顔を見上げた。そして私は思ったよりももっと彼女がその沈黙に苦しんでいるらしいのを見抜いた。そういう彼女の打ち萎《しお》れたような様子は私にはたまらないほどいじらしく見えた。突然《とつぜん》、後悔《こうかい》のようなもので私の胸は一ぱいになった。……私がほとんど夢中《むちゅう》で彼女の腕《うで》をつかまえたのは、そんなこんがらがった気持の中でだった。彼女はちょっと私に抵抗《ていこう》しかけたが、とうとうその腕を私の腕のなかに切なそうに任せた。……それから数分|経《た》ってから初めて、私はやっと自分の腕の中に彼女がいることに気がついたように、何んともかんとも言えない歓《よろこ》ばしさを感じ出した。
 私たちは、少しぎごちなさそうに腕を組んだまま、例の小さな木橋を渡った。それからその流れの反対の側に沿って、サナトリウムへの道に這入《はい》って行った。その途中にずっと続いている野薔薇《のばら》の生墻《いけがき》は、既《すで》にその白い小さな花をことごとく失った跡だった。そんな葉ばかりになってしまっている野薔薇の茂みは、それらが花を一ぱいつけていた頃のことを、殆んど強制的に私に思い出させはしたけれど、私はそれがどんなになっていようとも、もうそれには少しも感動できなくなっていた。それほどあの頃からすべてが変っていた。そしてそれが何もかも自分の責任のような気がされて、私はふっと気が鬱《ふさ》いだ。……が、それらの生墻の間からサナトリウムの赤い建物が見えだすと、私は気を取り直して、黄いろいフランス菊《ぎく》がいまを盛《さか》りに咲きみだれている中庭のずっと向うにある、その日光室《サン・ルウム》を彼女に指して見せた。丁度、その日光室の中には快癒期《かいゆき》の患者《かんじゃ》らしい外国人が一人、籐椅子《とういす》に靠《もた》れていたが、それがひょいと上半身を
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