かったし、それに私はさっきから自分の印象をまとめようとしてそれにばかり夢中《むちゅう》になっていたので、そんな唸り声にふと気づく度毎《たびごと》に、何んだか私自身の頭脳《ずのう》がひどい混乱のあまりそんな具合《ぐあい》に唸り出しているのではないかと言うような気もされた。……
※[#アステリズム、1−12−94]
その村の東北に一つの峠《とうげ》があった。
その旧道には樅《もみ》や山毛欅《ぶな》などが暗いほど鬱蒼《うっそう》と茂っていた。そうしてそれらの古い幹には藤《ふじ》だの、山葡萄《やまぶどう》だの、通草《あけび》だのの蔓草《つるくさ》が実にややこしい方法で絡《から》まりながら蔓延《まんえん》していた。私が最初そんな蔓草に注意し出したのは、藤の花が思いがけない樅の枝からぶらさがっているのにびっくりして、それからやっとその樅に絡みついている藤づるを認めてからであった。そう言えば、そんなような藤づるの多いことったら! それらの藤づるに絡みつかれている樅の木が前よりも大きくなったので、その執拗《しつよう》な蔓がすっかり木肌《きはだ》にめり込んで、いかにもそれを苦しそうに身もだえさせているのなどを見つめていると、私は無気味になって来てならない位だった。――或る朝、私は例の気まぐれから峠まで登った帰り途《みち》、その峠の上にある小さな部落の子供|等《ら》二人と道づれになって降りて来たことがあった。その折のこと、その子供たちはいろいろな木に絡まっている、もっと他の山葡萄だの、通草だのをも私に教えてくれたのだった。子供たちは秋になるとそれ等の実を採りに来るので、それ等のある場所を殆んど暗記していた。それからまた小鳥の巣《す》のある場所を私に教えてくれたりした。彼等は峠で力餅《ちからもち》などを売っている家の子供たちであった。大きい方の子は十一二で、小さい方の子は七つぐらいだった。三人兄弟なのだが、その真ん中の子が村の小学校からまだ帰らぬので峠の下まで迎《むか》えに行くのだと言っていた。
子供たちは何を見つけたのか急に私を離れて、林のなかへ、下生えを掻《か》き分けながら駈けこんでいった。そうして一本のやや大きな灌木《かんぼく》の下に立ち止まると、手を伸《の》ばしてその枝から赤い実を揉《も》ぎとっては頬張《ほおば》っていた。それは何の実だと訊《き》いたら、「茱萸
前へ
次へ
全50ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング