ころに荒らされた跡があった。木の枝などが無残に折られたままになっていたりした。そういう場所の傍を通るときは、私達はどちらからともなく少し足早に通り過ぎた。
 急に私達の前が明るくなって、其処には山寄りに一軒、ちょっとした小屋が閉されたまま立っていた。それがY・W・C・Aの寮にちがいなかった。そして其処から湖寄りには、柵《さく》をめぐらした砂地があり、そこにも小さな掘立小屋があった。私達は柵を押しあけて、構わずにそっちの方へはいって往った。
 其処は湖水が何処よりもぐっと深く入り込んでいた。そのせいか、湖水もここいらあたりが一番奥まった感じだった。一体、斑尾と黒姫の太古の噴火のため、その間の谷が殆ど埋まって、ただ一つ昔のままの姿をとどめているのが、この野尻湖だという事だった。此処の入江に立っていると、こんもりと茂った木々の間に、いかにも伝説のありげな黒姫山が何か遠いような感じで見えた。斑尾山はいま丁度私達の背後から迫っているのだろう。
 私達が其処で山だの湖だのを眺めながら、その岸の砂地をぶらぶらしていると到る処に焚火《たきび》の燃え残りのようなものが残っていた。
「これはボンファイアをした跡だわ……」妻はしきりに自分の女学生時代の事を思い出しているらしく、いくぶん上ずったような声で私に云った。
「ボンファイアって何だい?」私はそういう妻から努めて話を引き出すように訊《き》いた。
「まあ、ボンファイアを知っていらっしゃらなかったの? 呆れたわね。」妻は少しはしゃいでいた。「夕方になってから、みんなで焚火をしてね、そのまわりで最初はお祈りをしたり、讃美歌を唄ったりして、礼拝をするのよ。――それが終ると、ソオセエジを串焼きにして麺麭《パン》にはさんで食べたりしながら、その焚火のまわりで踊ったりなんかして遊ぶんだわ。素敵だわよ。……」
 私は少してれ臭そうに聞きながら、最後に言った。「ふん、ソオセエジをその焚火で串焼きにして食べるのかい? それは好いなあ。」
 が、私の心の裡《うち》に、こういう山に囲まれた湖畔で、そんな焚火を背景にして、大勢の若い娘たちが生の悦《よろこ》びに充《み》ち溢《あふ》れながら遊び戯れる光景を、殆ど眼底にしみつくように、鮮かに浮ばせた。
 妻はそこに落ちていた燃え残りの薪を拾って、湖水の方へほうった。それは水まで届かないで砂地に落ちた、引汐時《ひき
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