ボストン・バッグの代りに旅行に携えてゆくつもりだった。……
 そんな急な思いつきで、妻と二人で、旅に出て来たのだった。最初は、志賀高原、戸隠山、野尻湖なんぞとまわれるだけまわって、軽井沢ももう倦《あ》きたので、来年の夏を過ごすところを今から物色しておこうと思った。だが、何せ、疲れやすい私の事だから、先ず一番楽なコオスをと思って、野尻湖に来た。――どうも外人の跡ばかり追っかけているようで、気が引けるが、あいつらの見つけ出すものには棄て難い味がある。人のあまり知らないような山奥から不思議に日本離れした風景を捜し出してくるようだが、それは長く本国から離れている彼等のどうにもこうにもしようのないような郷愁[#「郷愁」に傍点]からかも知れない。そういう山奥で夏だけ過ごすのは最初は随分不自由だろうが、それを忍んで、其処を彼等の流儀で馴らしてしまう。そんなところが私の心を惹《ひ》くと見える。……
 旅の途中、二人分の簡単な身のまわりの物だけ詰めこんできた例のラケット入れは相当重くなったが、そんなものを女に持たせるのはどうかと思うので、最初のうちは自分でいかにも颯爽《さっそう》と持って歩いたが、すぐへたばってしまった。で、ときどき妻に持って貰って、人なかに出るときは急いで私が持ち換えたりした。そして私が痩《や》せ我慢《がまん》をしいしい歩いているのを、妻は側で心配そうに見ていた。そんな私達二人の旅だから、いくら慾張った旅程を立てておいたところで、何処まで往けるか知れたものだった。……

    *

 乗合で野尻湖に向う途中、真白い蕎麦《そば》の花の咲いた畑の間で、もう引き上げて来る外人の荷物を積み込んだ荷馬車とすれちがった。どうせもう夏も過ぎた事だから、すっかり蓼《さび》れているだろうが、人に訊《き》いてきたレエクサイド・ホテルとか云う、外人相手の小さなホテルだけでも明いていて呉れればいいが――と思って、湖畔で乗合から降り、船の発着所まで往って、船頭らしいものを捉えて訊くと、
「さあ、レエクサイドはどうかな?」と不承不承に立って、南の方の外人部落らしい、赤だの、緑だのの屋根の見える湖岸を見やっていたが、
「あの一番はずれに見える屋根がホテルだがね、まだ旗が出ているようだから、やってましょう。――お往きなさるかい?」
 私達はすこし心細そうに顔を見交していた。が、せっかく此処まで来
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