黙ったまま私の横の籐椅子に腰を下ろした。私はそれを承知で、しかし本からは目を放さずに、その頁を読《よ》み了《お》えてしまうまでじっとしていた。それから漸っと妻の方へほっとしたような顔を上げた。
「話してもいい?」妻は私の方を見た。
「きょうは御勉強、それとも何処かへお出掛けなさるの? なんだかはっきりしないお天気だけれど……」
「出掛けて、途中で雨にでも逢ったらつまらないから、此処でこうして本でも読んでいたいなあ……」
「それもいいわね。」
 妻もいつかそんな気になっているらしかった。もうそういう気まぐれな私には慣れっこになっているので、そっとして置くよりしようがないと観念しているのかも知れなかったが……。そうと決まると、妻は落着いて髪を結いに部屋へ引っ込んだが、暫くするとこんどは自分も本を持って出てきた。そして私と並んで本を読み出した。
 ときどき小鳥が、そんな私達の頭とすれすれのところを、幽《かす》かな羽音をさせながら、よろめくように翔《と》んで過《よ》ぎった。
 例の娘達の部屋はまだひっそりと窓掛けを下ろしたまま、何んの物音もしないでいた。そのうち漸っと目をさましたと見え、何か二人でぼそぼそと話し出しているようだ。それを好い機会に、私達は朝の食堂に下りて往った。

    *

 まだその娘達が姿を見せないうちに、朝の食堂を出て来た私達は、部屋へは帰らずに、そのままぶらっと散歩に出た。ともかくも雨の降り出さないうちに、まあ出来るだけでもその辺を見ておこうと思って、外人部落のきのう往かなかった方へ道をとった。湖岸まで下りて見ると、対岸の斑尾の方はなんとなく薄明るくて、青磁色の空さえところどころ覗いている。こりあうまく往くと、ときどき薄日ぐらいは差すような天気になって呉れるかも知れない。
 湖に沿った道をその部落のはずれまで往き切って、其処からこんどは落葉に埋まった急な坂を部落の方へ引っ返して往った。又、きのうと同様、すぐ面白いように人の家のなかへ踏み込んでしまう。ヴェランダ、鎧扉《よろいど》、木の段段、――どれもきのう見た奴と殆ど変りはない。なんだかきのうと同じ処を歩いているような感じだったが、ひょいと或る一軒の大きな別荘のなかへ迷い込んで、又引っ返そうとして、ふいと、その裏手の方を見ると、その裏木戸の上から白樺の木蔭になって「Green ……」という下手な横文
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