謂《いわゆる》無色なのではない。私はたった一ぺんきりそれを見て「ああこの色だ」と思ったものがある。それは仏蘭西《フランス》の L'ESPRIT NOUVEAU という美術雑誌に数年前載っていたピカソの Nature Morte[#「Nature Morte」は斜体]の絵だ。まあ、あれがちょっと私のそんな夢の色に似ていた。
私が真先に書こうと思っている「奇妙な店」の方は、その第一の種類に属している。鮮《あざ》やかな色の着いている方だ。そうしてその夢の冒頭は、私のそういう種類の夢の中にそれまでにも屡々《しばしば》現われて来たことのある、一つの場面から始まる。その私のよく夢に見る場面というのは、ただ一本の緑色をした樹木から成り立っている。その緑色の葉が何とも云えずに綺麗《きれい》なのだ。そしてそれをじっと見つめていられない程それが眩《まぶ》しいのだ。しかしそんなに眩しいのはその緑色の葉のせいばかりではないかも知れない。その緑の茂みの上に一面に硫黄《いおう》のような色をした斑点《はんてん》のようなものが無数にちらついているのだ。それはなんだかそんな黄色をした無数の小さな蝶《ちょう》が簇《むら》がりながら飛んでいるようにも見える。それはまたその木にそんな色をした無数の小さな花が咲いていてそれが微風に揺られながら太陽に反射しているのかとも思える。なんだか私にはよく分らないけれども私はそれにうっとりと見入っている。――この何んの木だか分らないが、いつも同じ木は、私の夢の中に、そう――少くとももう七遍ぐらいは出て来ている。だからそう珍らしくはない筈《はず》だが、それでも不思議に私はその度毎《たびごと》に、いつも最初にそれを見た時のような驚きをもって、わくわくしながらそれに見入るのだ。
突然、夢の場面が一変する。――が、それは場面が連続的に移動するのではない。それは不連続的に移動する。つまり、二つの場面の間にはぽかんと大きな間隙《かんげき》が出来てしまっている。目が覚めてから、夢がどうも辻褄《つじつま》が合わなく見えるのは、その間隙の所為《せい》が多い。私はその間隙を何かで充填《じゅうてん》しようと努力してみることがあるが、どうもそれがうまく行かない。私は此処《ここ》でもそれをその間隙のままにしておくよりしかたがない。(唯、こういう具合にだけは二つの場面は連続している。私はその何んの木かを驚きながら見入っている。しかし見入っているうちに、何時《いつ》の間にか私には今しがたまで確かにそんな木を見ていたのだが、と云う感じだけがして来るようになる。その時はもう既にその木は夢から消え去っている。そしてその残像だけを自分の頭に浮べながら、私はいつか次の場面に立会っている。まあ、そう云う具合にである。)
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向うの町角の方が急に騒がしくなる
なんだか人が大勢集っている
私は見上げていた木の傍《そば》を離れてそっちの方へ何時の間にか歩き出している
何か珍らしい行列が向うの町から徐《しず》かにやって来るらしい
あんまり皆が夢中になって見ているので私も人々のうしろから背伸びをして見ている
とうとうその行列が近づいて来たようだ
象だ! 象だ! 象だ! 大きな象が
たった一人で、無頓着《むとんじゃく》そうに、のそりのそりと鼻をふりながら歩いて来る
象の皮膚はなんだか横文字の新聞を丸めたのをもう一度引き伸ばして
貼《は》りつけたように、皺《しわ》だらけで、くしゃくしゃになっている
その背中には真紅な毛氈《もうせん》が掛っている、そうして尚《なお》よく見ると
その毛氈の上には小さな香炉《こうろ》のようなものが載さっていて
それから一すじ細ぼそと白い烟《けむ》りが立ち昇っている
何かの広告であるらしいがそれが誰にも分らないらしい
隣りの人に聞いてもそれは分らないのが当り前だと云うような顔をしている
しかしその香炉の烟りは好い※[#「均−土」、第3水準1−14−75]《におい》がする 何ともかとも云いようのないほど好い※[#「均−土」、第3水準1−14−75]がする
象が何処《どこ》かへ行ってしまっても何時までもその※[#「均−土」、第3水準1−14−75]だけが残っている
(そうしてその象の残像と、その※[#「均−土」、第3水準1−14−75]とだけが私のなかに残って
いつか次の場面になってしまっている)
私の向うに温室のようなものが見え出す
それはすっかりガラス張りだ
私がそれを見て温室かしらと思ったのはそのガラス越しに
見知らない熱帯植物のような鉢植《はちうえ》がいくつも室内に置かれてあるのを見たからだ
しかしそれは普通の温室ではないらしい
中にはマホガニイ製の小さな卓《テエブル》が五つ六つ一種風致のある乱雑さで配置されている
そしてその上
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