チている隙《すき》を窺《うかが》って体を伸し
その壜をひったくる そうして急いでその部屋から逃げ出しかける
惶《あわ》てて飛んできた魔女が私からその壜を取り戻そうとして
私に武者ぶり着く 私は魔女と格闘をする
そして其奴《そいつ》をそこに打《ぶ》っ倒す しかし其奴は今度は私の足にしがみついて
踏んでも蹴《け》ってもそれを離さない
私はとうとう奪い去るのは諦《あきら》めて
その壜の口を抜き、がぶがぶそれを立飲みし出す
私は見る見るそれを飲み干して行く それは何ともかんとも云えないほど好い味がする
おお、私は無類の酒を飲んでいる! 一人の少女を飲んでいる!
[#ここで字下げ終わり]

 若しも私があの夜ホテル・エソワイアンの廊下であの bizarre な少女に出会った時、この夢のなかの私の大胆さの半分でもあったら!……ああ、私は現実では何んと夢のなかでのように大胆にはなれないのだ。しかし私が我知らずそんなに大胆になれるような機会を与えてくれないのは、ひとつは現実にも責任はある。現実のトリックは夢のトリックよりもずっと下手糞《へたくそ》だ。夢は私のために一人の少女をあっさりと葡萄酒に変えてくれる。それだのに、現実はホテル・エソワイアンの少女を或《ある》時は私に美しく見せたり、或時はまた醜く見せたりして、そのややっこしいったらない。そしてあの晩のごときは、ああ、あの少女はまるで魔法使いの婆さんのような顔をして私の前に立っていたっけ!



底本:「燃ゆる頬・聖家族」新潮文庫、新潮社
   1947(昭和22)年11月30日発行
   1970(昭和45)年3月30日26刷改版
   1987(昭和62)年10月20日51刷
初出:「行動」
   1934(昭和9)年1月号
初収単行本:「物語の女」山本書店
   1934(昭和9)年11月20日
※初出情報は、「堀辰雄全集第1巻」筑摩書房、1977(昭和52)年5月28日、解題による。
入力:kompass
校正:染川隆俊
2004年1月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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