惨《みじ》めなことよ。」
そんな溜息《ためいき》を洩らしながら昨夜《ゆうべ》も私は寝床に這入《はい》った。
実は雑誌記者が夕方私の所にやって来て
どうでも明日までに原稿を書いて貰《もら》わねば困ると云うのである。
私は徹夜をしてもきっと間に合わせると約束をして其奴《そいつ》を撃退してやったが、
それからすぐ睡《ねむ》くなって、「これぁ不可《いか》ん。こうして
居るよりか、ひとつ夢でも見て詩の良導体になってやろう。」
そう考えながら寝床に這入り、私はそのまま他愛もなく眠ってしまった。
それから何やらごたごたと沢山夢は見たけれど、
今朝《けさ》目を覚ましたら皆忘れていた。
勝手にしやがれ、と私は糞度胸《くそどきょう》を据えて
黒珈琲《ブラック・コオフィイ》を飲みかけようとした途端《とたん》に、こんな事を思いついた。
「己《おれ》の書こうと思っている夢のコントの中では魔法使いの婆さんが
鳥の骨ばかりになった奴にソオスをぶっかけて
そいつを己に食わせやあがったが、
あれはあれでちょっと乙《おつ》な味がしたぞ。
己もひとつその流儀で行こうかしらん。
己のやくざな夢の残骸《ざんがい》にウオタアマン・インクをぶっかけてやったら、
何とかそれなりに恰好《かっこう》がつくかも知れぬ。
よし、それで行こう……」
[#ここで字下げ終わり]

     1 奇妙な店

 私の見る夢には大概色彩がある。そういう夢を見るのは神経衰弱のせいだと教えてくれる人が居る。そんなことはどうだっていい。唯《ただ》、私の見る色彩のある夢にも二種あることを私は云っておきたい。その一つは、鮮明な、すき透《とお》るような色彩からのみ成っている。その色はちょっとドロップスのそれに似ている。(私は一ぺん糖分が夢にはよく利《き》くというのでドロップスをどっさり頬張《ほおば》りながら寝たことがあるが、その朝、私はそのドロップスにそっくりな色の着いた夢を見たっけ……)そう、そう、それから私がマリイ・ロオランサンの絵に夢中になっていたのもあの絵の色が私の夢のそれに似ていたからであった。が、もう一方の夢は、そんな鮮明な色は無い。何とも云えず物凄《ものすご》いような色で一様に塗り潰《つぶ》されているばかりである。しかし、そんな色は殆《ほとん》ど現実の中には見出《みいだ》されないようだから、無色と云ってもいいかも知れない。しかし所
前へ 次へ
全9ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング