だ松林の中に、誰もいないのを見すますと、漸《や》っと其処に落ちついて、僕は歩きながらいま読んできたクロオデルの戯曲のことを再び心に浮かべた。そうしてこのカトリックの詩人には、ああいう無垢《むく》な処女を神へのいけにえにするために、ああも彼女を孤独にし、ああも完全に人間性から超絶せしめ、それまで彼女をとりまいていた平和な田園生活から引き離すことがどうあっても必然だったのであろうかと考えて見た。そうしてこの戯曲の根本思想をなしているカトリック的なもの、ことにその結末における神への讃美のようなものが、この静かな松林の中で、僕にはだんだん何か異様《ことざま》なものにおもえて来てならなかった。

[#地から1字上げ]三月堂の金堂にて
 月光菩薩像《がっこうぼさつぞう》。そのまえにじっと立っていると、いましがたまで木の葉のように散らばっていたさまざまな思念ごとそっくり、その白みがかった光の中に吸いこまれてゆくような気もちがせられてくる。何んという慈《いつく》しみの深さ。だが、この目をほそめて合掌をしている無心そうな菩薩の像には、どこか一抹《いちまつ》の哀愁のようなものが漂っており、それがこんなにも素直にわれわれを此の像に親しませるのだという気のするのは、僕だけの感じであろうか。……
 一日じゅう、たえず人間性への神性のいどみのようなものに苦しませられていただけ、いま、この柔かな感じの像のまえにこうして立っていると、そういうことがますます痛切に感ぜられてくるのだ。

[#地から1字上げ]十月二十日夜
 きょうははじめて生駒山を越えて、河内の国|高安《たかやす》の里のあたりを歩いてみた。
 山の斜面に立った、なんとなく寒ざむとした村で、西の方にはずっと河内の野が果てしなく拡がっている。
 ここから二つ三つ向うの村には名だかい古墳群などもあるそうだが、そこまでは往って見なかった。そうして僕はなんの取りとめもないその村のほとりを、いまは山の向う側になって全く見えなくなった大和の小さな村々をなつかしそうに思い浮かべながら、ほんの一時間ばかりさまよっただけで、帰ってきた。
 こないだ秋篠の里からゆうがた眺めたその山の姿になにか物語めいたものを感じていたので、ふと気まぐれに、そこまで往ってその昔の物語の匂いをかいできただけのこと。(そうだ、まだお前には書かなかったけれど、僕はこのごろはね、伊勢物語なんぞの中にもこっそりと探りを入れているのだよ。……)
 夕方、すこし草臥《くたび》れてホテルに帰ってきたら、廊下でばったり小説家のA君に出逢った。ゆうべ遅く大阪からこちらに著《つ》き、きょうは法隆寺へいって壁画の模写などを見てきたが、あすはまた京都へ往くのだといっている。連れがふたりいた。ひとりはその壁画の模写にたずさわっている奈良在住の画家で、もうひとりは京都から同道の若き哲学者である。みんなと一しょに僕も、自分の仕事はあきらめて、夜おそくまで酒場で駄弁《だべ》っていた。

[#地から1字上げ]十月二十一日夕
 きょうはA君と若き哲学者のO君とに誘われるがままに、僕も朝から仕事を打棄《うっちゃ》って、一しょに博物館や東大寺をみてまわった。
 午後からはO君の知っている僧侶の案内で、ときおり僕が仕事のことなど考えながら歩いた、あの小さな林の奥にある戒壇院《かいだんいん》の中にもはじめてはいることができた。
 がらんとした堂のなかは思ったより真っ暗である。案内の僧があけ放してくれた四方の扉からも僅かしか光がさしこんでこない。壇上の四隅に立ちはだかった四天王の像は、それぞれ一すじの逆光線をうけながら、いよいよ神々しさを加えているようだ。
 僕は一人きりいつまでも広目天《こうもくてん》の像のまえを立ち去らずに、そのまゆねをよせて何物かを凝視している貌《かお》を見上げていた。なにしろ、いい貌だ、温かでいて烈《はげ》しい。……
「そうだ、これはきっと誰か天平時代の一流人物の貌をそっくりそのまま模してあるにちがいない。そうでなくては、こんなに人格的に出来あがるはずはない。……」そうおもいながら、こんな立派な貌に似つかわしい天平びとは誰だろうかなあと想像してみたりしていた。
 そうやって僕がいつまでもそれから目を放さずにいると、北方の多聞天《たもんてん》の像を先刻から見ていたA君がこちらに近づいてきて、一しょにそれを見だしたので、
「古代の彫刻で、これくらい、こう血の温かみのあるのは少いような気がするね。」と僕は低い声で言った。
 A君もA君で、何か感動したようにそれに見入っていた。が、そのうち突然ひとりごとのように言った。「この天邪鬼《あまのじゃく》というのかな、こいつもこうやって千年も踏みつけられてきたのかとおもうと、ちょっと同情するなあ。」
 僕はそう言われて、はじめてその足の下に踏みつけられて苦しそうに悶《もだ》えている天邪鬼に気がつき、A君らしいヒュウマニズムに頬笑みながら、そのほうへもしばらく目を落した。……
 数分後、戒壇院の重い扉が音を立てながら、僕たちの背後に鎖《とざ》された。再びあの真っ暗な堂のなかは四天王の像だけになり、其処には千年前の夢が急にいきいきと蘇《よみがえ》り出していそうなのに、僕は何んだか身の緊《しま》るような気がした。
 それから僕たちは僧侶の案内で、東大寺の裏へ抜け道をし、正倉院がその奥にあるという、もの寂びた森のそばを過ぎて、畑などもある、人けのない裏町のほうへ歩いていった。
 と、突然、僕たちの行く手には、一匹の鹿が畑の中から犬に追い出されながらもの凄い速さで逃げていった。そんな小さな葛藤《かっとう》までが、なにか皮肉な現代史の一場面のように、僕たちの目に映った。

[#地から1字上げ]十月二十三日、法隆寺に向う車窓で
 きのうは朝から一しょう懸命になって、新規に小説の構想を立ててみたが、どうしても駄目だ。きょうは一つ、すべての局面転換のため、最後のとっておきにしていた法隆寺へ往って、こないだホテルで一しょに話した画家のSさんに壁画の模写をしているところでも見せてもらって、大いに自分を発奮させ、それから夢殿《ゆめどの》の門のまえにある、あの虚子の「斑鳩《いかるが》物語」に出てくる、古い、なつかしい宿屋に上がって、そこで半日ほど小説を考えてくるつもりだ。

[#地から1字上げ]十月二十四日、夕方
 きのう、あれから法隆寺へいって、一時間ばかり壁画を模写している画家たちの仕事を見せて貰いながら過ごした。これまでにも何度かこの壁画を見にきたが、いつも金堂のなかが暗い上に、もう何処もかも痛いたしいほど剥落《はくらく》しているので、殆ど何も分からず、ただ「かべのゑのほとけのくにもあれにけるかも」などという歌がおのずから口ずさまれてくるばかりだった。――それがこんど、金堂《こんどう》の中にはいってみると、それぞれの足場の上で仕事をしている十人ばかりの画家たちの背ごしに、四方の壁に四仏浄土を描いた壁画の隅々までが蛍光灯のあかるい光のなかに鮮やかに浮かび上がっている。それが一層そのひどい剥落のあとをまざまざと見せてはいるが、そこに浮かび出てきた色調の美しいといったらない。画面全体にほのかに漂っている透明な空色が、どの仏たちのまわりにも、なんともいえず愉《たの》しげな雰囲気をかもし出している。そうしてその仏たちのお貌だの、宝冠だの、天衣《てんね》だのは、まだところどころの陰などに、目のさめるほど鮮やかな紅だの、緑だの、黄だの、紫だのを残している。西域あたりの画風らしい天衣などの緑いろの凹凸のぐあいも言いしれず美しい。東の隅の小壁に描かれた菩薩《ぼさつ》の、手にしている蓮華《れんげ》に見入っていると、それがなんだか薔薇《ばら》の花かなんぞのような、幻覚さえおこって来そうになるほどだ。
 僕は模写の仕事の邪魔をしないように、できるだけ小さくなって四壁の絵を一つ一つ見てまわっていたが、とうとうしまいに僕もSさんの櫓《やぐら》の上にあがりこんで、いま描いている部分をちかぢかと見せて貰った。そこなどは色もすっかり剥《は》げている上、大きな亀裂が稲妻形にできている部分で、そういうところもそっくりその儘《まま》に模写しているのだ。なにしろ、こんな狭苦しい櫓の上で、絵道具のいっぱい散らばった中に、身じろぎもならず坐ったぎり、一日じゅう仕事をして、一寸平方位の模写しかできないそうだ。どうかすると何んにもない傷痕ばかりを描いているうちに一と月ぐらいはいつのまにか立ってしまうこともあるという。――そんな話を僕にしながら、その間も絶えずSさんは絵筆を動かしている。僕はSさんの仕事の邪魔をするのを怖れ、お礼をいって、ひとりで櫓を下りてゆきながら、いまにも此の世から消えてゆこうとしている古代の痕をこうやって必死になってその儘に残そうとしている人たちの仕事に切ないほどの感動をおぼえた。……
 それから金堂を出て、新しくできた宝蔵の方へゆく途中、子規の茶屋の前で、僕はおもいがけず詩人のH君にひょっくりと出逢った。ずっと新薬師寺に泊っていたが、あす帰京するのだそうだ。そうして僕がホテルにいるということをきいて、その朝訪ねてくれたが、もう出かけたあとだったので、こちらに僕も来ているとは知らずに、ひとりで法隆寺へやって来た由。――そこで子規の茶屋に立ちより、柿など食べながらしばらく話しあい、それから一しょに宝蔵を見にゆくことにした。
 僕の一番好きな百済観音《くだらかんのん》は、中央の、小ぢんまりとした明かるい一室に、ただ一体だけ安置せられている。こんどはひどく優遇されたものである。が、そんなことにも無関心そうに、この美しい像は相変らずあどけなく頬笑まれながら、静かにお立ちになっていられる。……
 しかしながら、此のうら若い少女の細っそりとしたすがたをなすっていられる菩薩像《ぼさつぞう》は、おもえば、ずいぶん数奇《すき》なる運命をもたれたもうたものだ。――「百済観音」というお名称も、いつ、誰がとなえだしたものやら。が、それの示すごとく古朝鮮などから将来せられたという伝説もそのまま素直に信じたいほど、すべてが遠くからきたものの異常さで、そのうっとりと下脹《しもぶく》れした頬のあたりや、胸のまえで何をそうして持っていたのだかも忘れてしまっているような手つきの神々しいほどのうつつなさ。もう一方の手の先きで、ちょいと軽くつまんでいるきりの水瓶《すいびょう》などはいまにも取り落しはすまいかとおもわれる。
 この像はそういう異国のものであるというばかりではない。この寺にこうして漸《や》っと落ちつくようになったのは中古の頃で、それまでは末寺の橘寺《たちばなでら》あたりにあったのが、その寺が荒廃した後、此処に移されてきたのだろうといわれている。その前はどこにあったのか、それはだれにも分からないらしい。ともかくも、流離というものを彼女たちの哀しい運命としなければならなかった、古代の気だかくも美しい女たちのように、此の像も、その女身の美しさのゆえに、国から国へ、寺から寺へとさすらわれたかと想像すると、この像のまだうら若い少女のような魅力もその底に一種の犯し難い品を帯びてくる。……そんな想像にふけりながら、僕はいつまでも一人でその像をためつすがめつして見ていた。どうかすると、ときどき揺らいでいる瓔珞《ようらく》のかげのせいか、その口もとの無心そうな頬笑みが、いま、そこに漂ったばかりかのように見えたりすることもある。そういう工合なども僕にはなかなかありがたかった。……
 それから次ぎの室で伎楽面《ぎがくめん》などを見ながら待っていてくれたH君に追いついて、一しょに宝蔵を出て、夢殿のそばを通りすぎ、その南門のまえにある、大黒屋という、古い宿屋に往って、昼食をともにした。
 その宿の見はらしのいい中二階になった部屋で、田舎らしい鳥料理など食べながら、新薬師寺での暮らしぶりなどをきいて、僕も少々うらやましくなった。が、もうすこし人並みのからだにしてからでなくては、そういう精進三昧《しょうじんざんま
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