あちこちで小丘になったり、森になったり、藪になったりしているような工合の村です。そういう村の地形を考えに入れながら、もう一ペんさっきの歌を味わってみると、一層そのニュアンスが分かって来るような気がします。
 すこし横道にそれてしまいましたので、本題に立ちかえりましょう。僕はその人麻呂の挽歌――就中《なかんずく》その第一の反歌のなかに見られる、死に対する観念をかんがえて見ようとしていたのでした。

[#ここから2字下げ]
秋山《あきやま》の黄葉《もみぢ》あはれとうらぶれて入りにし妹《いも》は待てど来まさず
[#ここで字下げ終わり]

 これは巻七の雑《くさぐさ》の挽歌のなかに出てくる作者不詳のものであります。非常に人麻呂の歌と似ていて、その影響をたぶんに受けて出来たものとおもわれますが、とにかくそれで見ても、こういうような愛する者の死に対する思想が、たんへん当時の人々に気に入られたということが分かるのであります。――その当時はもう原始的な他界信仰から脱して人々は漸くわれわれと殆ど同じような生と死との観念をもちはじめていたのにちがいありません。だが、自分の愛しているものでも死んだような場合には、死後もなお彼女が在りし日の姿のまま、その葬られた山の奥などをしょんぼりとさすらっているような切ない感じで、その死者のことが思い出されがちでありましょう。そういう考え方は嘗《か》つての他界信仰の名残りのようなものをおおく止めておりますが、半ばそれを否定しながらも、半ばそれを好んで受け入れようとしている、――すくなくとも心のうえではすっかりそれを受け入れてしまっているのであります。そうしてまた一方では、そういう愛人の死後の姿をできるだけ美化しようとする心のはたらきがある。……そういうさまざまな心のはたらきが、ほとんど無意識的に行われて、なんの造作もなくすうっと素直に歌になったところに、万葉集のなかのすべての挽歌《ばんか》のいい味わいがあるのだろうと思われます。
 軽《かる》の村の愛人の死をいたんだ歌とならんで、もう一首、人麻呂がもうひとりの愛人(こちらの愛人とは同棲《どうせい》をし、子まであった)の死を悲しんだ歌があり、それにも死者に対する同様の考えかたが見られます。「……大鳥《おおとり》の羽《は》がひの山に、わが恋ふる妹《いも》はいますと人のいへば、岩根《いわね》さくみてなづみ来し
前へ 次へ
全64ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング