途中に起る。ある道の曲り角で、夕日に照らされてゐるマルタンヴィルの鐘塔を認めたとき、彼はなんとも云ひやうのない悦びを感ずる。「私にはそれらの姿を地平線に認めて私の受けた悦びの理由は分らなかつたし、その理由を是が非でも發見しようとすることはずゐぶん苦しいやうに思はれた。……」そのうちその鐘塔の背後に隠されてゐるものがいくらかづつ彼にはつきりしてくる。これまでになかつたやうなある考へが浮んでくる。それが言葉といふ形式をとり出す。彼は醫師から鉛筆と紙を貰ふと、すぐその場で、鐘塔の與へつつある印象を書きつける。それを書き上げてしまふと、とても嬉しくなつて、彼は聲をかぎりに歌ひはじめる。
第三の場合は、シャンゼリゼエで少女たちと遊び疲れて、自分の家への歸り途、四目垣のある亭《ちん》の黴くさいやうな臭ひを嗅ぐと、突然、いままで潛伏してゐた幻《イマアジュ》が浮び上るのだ。その幻はそれとそつくり同じやうにじめじめした臭ひのしてゐた、コンブレエのアドルフ叔父さんの小さな部屋のそれなのだ。しかし何故こんなつまらない幻の喚起がこんなにも異樣な悦びを彼に與へるのか分らないでゐる。
第四の場合。バルベックの近郊をヴィユパリジス夫人などと共に馬車を駆らせてゐる間に、彼は三本の樹木を認める。「私は三本の樹木を見つめた。私はそれを十分に見ることが出來た。しかし私の心にはそれらが何かしら得體の知れないものを隱してゐるやうに感じられた。……私はどんなにか一人きりになつてしまひたかつたらう。……さうしなければいけないやうにさへ私には思へた。私は一種特別な悦びを覺えてゐたけれども、それはもつともつとそれに就いて考へるやうにと私を強ひたのだ……」
しかし馬車は遠ざかつて行く。
「馬車は私がそれのみ眞實であると信じてゐたものから、私を眞に幸福にさせもしたであらうものから、ずんずん私を引き離して行つた。……私はまるでひとりの友人を失つたやうに、自殺をしたやうに、ひとりの死人を知らない振りをしたやうに、神を否認したやうに、大へん悲しかつた。」
第五の場合も同じバルベックである。アンドレエといふ女友達と一緒に散歩をしてゐるうちに、
「突然、とある凹んだ小徑で、私は幼時のやさいし思ひ出に心臟をしめつけられて立止つた。私は私の足許にまで延びてゐる、擦り切れた、艶のある葉によつて、もうすつかり花の落ちつくした山査
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