がら言った。
 その言葉が絹子の顔を夫人の方にねじむけさせた。今度は夫人がそれから自分の顔をそむかせる番だった。
 ――この頃、細木夫人はすっかり若さを失っていた。そして彼女には、自分の娘が何んだか自分から遠くに離れてしまったように思われてならないのだった。彼女はときどき自分の娘を、まるで見知らない少女のようにさえ思うことがあった。そして今も、そうだった……
 絹子は、海の絵はがきの裏に、鉛筆で書かれた扁理の神経質な字を読んだ。彼は、その海岸が気に入ったからしばらく滞在するつもりだ、と書いて寄こしたきりだった。
 絹子はその絵はがきから、彼女の狂暴な顔をいきなり夫人の方にむけながら、
「河野さんは死ぬんじゃなくって?」と出しぬけに質問した。
 細木夫人はその瞬間、自分の方を睨《にら》んでいる、一人の見知らぬ少女の、そんなにも恐《こわ》い眼つきに驚いたようだった。が、その少女のそんな眼つきは突然、夫人に、彼女がその少女と同じくらいの年齢であった時分、彼女の愛していた人に見せつけずにはいられなかった自分の恐い眼つきを思い出させた。そうして夫人は、その見知らない少女がその頃の自分にひどく肖《
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