から再びホテルを出た。
そうしてまた、さっき一度歩いたことのある道を歩きながら、あの時から少しも失われていない自分のなかの不可解な感じを、犬のように追いかけて行った。
突然、或る考えが扁理にすべてを理解させ出したように見える。さっきから自分をこうして苦しめているもの、それは死の暗号ではないのか。通行人の顔、ビラ、落書、紙屑《かみくず》のようなもの、それらは死が彼のために記して行った暗号ではないのか。どこへ行ってもこの町にこびりついている死の印《しるし》。――それは彼には同時に九鬼の影であった。そうして彼にはどうしてだか、九鬼が数年前に一度この町へやってきて、今の自分と同じように誰にも知られずに歩きながら、やはり今の自分と同じような苦痛を感じていたような気がされてならないのだ……
そうして扁理はようやく理解し出した、死んだ九鬼が自分の裏側にたえず生きていて、いまだに自分を力強く支配していることを、そしてそれに気づかなかったことが自分の生の乱雑さの原因であったことを。
そうしてこんな風に、すべてのものから遠ざかりながら、そしてただ一つの死を自分の生の裏側にいきいきと、非常に近くしか
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