よ。あいつはこの頃全く手がつけられなくなったんです。くだらない踊り子かなんかに引っかかっていて……」
「あら、そうですの」
 絹子はそれを聞くと同時ににっこりと笑った。いかにも朗らかそうに。そして自分でも笑いながら、こんな風に笑ったのは実にひさしぶりであるような気がした。
 このながく眠っていた薔薇《ばら》を開かせるためには、たった一つの言葉で充分だったのだ。それは踊り子[#「踊り子」に傍点]の一語だ。扁理と一しょにいた人はそんな人だったのか、と彼女は考え出した。私はそれを私と同じような身分の人とばかり考えていたのに。そしてそういう人だけしか扁理の相手にはなれないと思っていたのに。……そうだわ、きっと扁理はそんな人なんか愛していないのかも知れない。もしかすると、あの人の愛しているのはやっぱし私なのかも知れない。それだのに私があの人を愛していないと思っているので、私から遠ざかろうとしているのではないかしら。そうして自分をごまかすためにきっとそんな踊り子などと一しょに暮らしているのだ。そんな人なんかあの人には似合わないのに……
 それは少女らしい驕慢《きょうまん》な論理だった。しかし、大抵
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