聖家族
堀辰雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)硝子窓《ガラスまど》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#アステリズム、1−12−94]
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 死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。
 死人の家への道には、自動車の混雑が次第に増加して行った。そしてそれは、その道幅が狭いために、各々の車は動いている間よりも、停止している間の方が長いくらいにまでなっていた。
 それは三月だった。空気はまだ冷たかったが、もうそんなに呼吸しにくくはなかった。いつのまにか、もの好きな群集がそれらの自動車を取り囲んで、そのなかの人達をよく見ようとしながら、硝子窓《ガラスまど》に鼻をくっつけた。それが硝子窓を白く曇らせた。そしてそのなかでは、その持主等が不安そうな、しかし舞踏会にでも行くときのような微笑を浮べて、彼等を見かえしていた。
 そういう硝子窓の一つのなかに、一人の貴婦人らしいのが、目を閉じたきり、頭を重たそうにクッションに凭《もた》せながら、死人のようになっているのを見ると、
「あれは誰だろう?」
 そう人々は囁《ささや》き合《あ》った。
 それは細木《さいき》と云う未亡人だった。――それまでのどれより長いように思われた自動車の停止が、その夫人をそういう仮死から蘇《よみがえ》らせたように見えた。するとその夫人は自分の運転手に何か言いながら、ひとりでドアを開けて、車から降りてしまった。丁度そのとき前方の車が動き出したため、彼女の車はそこに自分の持主を置いたまま、再び動き出して行った。
 それと殆ど同時に人々は見たのだった。帽子もかぶらずに毛髪をくしゃくしゃにさせた一人の青年が、群集を押し分けるようにして、そこに漂流物のように浮いたり沈んだりして見えるその夫人に近づいて行きながら、そしていかにも親しげに笑いかけながら、彼女の腕をつかまえたのを――
 その二人がやっとのことで群集の外に出たとき、細木夫人は自分が一人の見知らない青年の腕にほとんど靠《もた》れかかっているのに、はじめて気づいたようだった。彼女はその青年から腕を離すと、何か問いたげな眼ざしを彼の上に投げながら、
「ありがとうございました」
 と言った。青年は、相手が自分を覚えてい
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