き私は向うから草の中を押し分けながら、すこし急ぎ足で、こっちへ近づいてくる一人の娘に気がついた。私はそれが村医者の娘であることを認めた。どうも私のいる林を目あてに近づいて来るらしい。だが、こんなところに不意に私を発見して、なんだか私が彼女を待ち伏せてでもいたようにとられはしないかと気を廻して、私はいきなり立ちあがった。そうして空気銃を肩にあてがって、何にもいやしないのに、そこに小鳥でも見つけたかのように、一本の木の梢《こずえ》を覗《ねら》って、引金を引いた。乾いた銃声があたりのしっとりとした沈黙を破った。
 私はその間も横目でこっそりと娘の方を窺《うかが》いながら、自分の臆病《おくびょう》な気持と闘っていた。その銃声でもってそこに私が居ることにやっと気がついて、彼女はちょっと逃げようとするような身振りをしたが、その瞬間、私は惶《あわ》てて振りかえって、お辞儀をした。彼女は気まり悪そうに笑いながら、私の方に近づいてきた。
「ああ、逃がしちゃった。」私は再び頭を上げながら、すこし上《うわ》ずった声でひとりごちた。
 すると娘も私の見上げている木の梢を見上げながら、
「何をお打ちですの?」と
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