供が走り出してきて、その四つ手網を重そうに一人で持ち上げだした。その網の中には、きらきらと光りながら跳《は》ねているのでそれと分るような、小さな魚が二三匹ひっかかっていた……
私はやっと決心しながら、自転車を反対の方向に廻して、その村からずんずん引っ返していった。
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註一 「わたくしは幼い時|向島《むこうじま》小梅村に住んでいた。初の家は今須崎町になり、後の家は今小梅町になっている。その後の家から土手へ往くには、いつも常泉寺の裏から水戸邸の北のはずれに出た。常泉寺はなじみのある寺である。
わたくしは常泉寺に往った。今は新小梅町の内になっている。枕橋《まくらばし》を北へ渡って徳川家の邸の南側を行くと、同じ側に常泉寺の大きい門がある。わたくしは本堂の周囲にある墓をも、境内の末寺の庭にある墓をも一つ一つ検した。日蓮宗の事だから、江戸の市人《いちびと》の墓が多い。……」
これは鴎外の『澀江抽斎』の一節で、抽斎の師となるべき池田京水の墓を探《さが》し歩いたときの記事である。大正四年の暮のことだそうで、そのころ私は十二三になっていた。丁度毎日のようにその常泉寺のほとりで遊んでいたので、此処《ここ》を読んだときは云い知れずなつかしい気がした。
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底本:「幼年時代・晩夏」新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年8月5日発行
1970(昭和45)年1月30日16刷改版
1987(昭和62)年9月15日38刷
初出:三つの挿話は「暮畔の家」「昼顔」「秋」の三篇から成る。
暮畔の家:「時事新報」(夕刊連載の「東京新風景」第10回目に「本所」の表題で。)
1931(昭和6)年3月21日、22日、24日、25日、26日、27日
加筆訂正後、「墓畔の家」の表題で「作品」に。
1932(昭和7)年4月号
昼顔:「若草」
1934(昭和9)年2月号
秋:「文藝」(「挿話」の表題で。)
1934(昭和9)年2月号
初収単行本:三つの挿話は「暮畔の家」「昼顔」「秋」の三篇から成る。
墓畔の家:「狐の手套」野田書房
1936年(昭和11)年3月20日
昼顔:「幼年時代」青磁社
1942(昭和17)年8月20日
秋:「物
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