が立つにつれて、何故かその時から夫と一しょに外出したりなどするのが妙に不快に思われ出した。わけても彼女を驚かしたのは、それが何か自分を佯っていると云う意識からはっきりと来ていることに気づいた事だった。それに近い感情はこの頃いつも彼女が意識の閾《しきみ》の下に漠然と感じつづけていたものだったが、菜穂子はあの孤独そうな明を見てから、なぜか急にそれを意識の閾の上にのぼらせるようになったのだった。
四
田舎へ行って来いと云われたとき都築明はすぐ少年の頃、何度も夏を過しに行った信州のO村の事を考えた。まだ寒いかも知れない、山には雪もあるだろう、何もかもが其処ではこれからだ、――そういう未だ知らぬ春先きの山国の風物が何よりも彼を誘った。
明はその元は宿場だった古い村に、牡丹屋《ぼたんや》という夏の間学生達を泊めていた大きな宿のあった事を思い出して、それへ問合わせて見ると、いつでも来てくれと云って寄したので、四月の初め、明は正式に休暇を貰って信州への旅を決行した。
明の乗った信越線の汽車が桑畑のおおい上州を過ぎて、いよいよ信州へはいると、急にまだ冬枯れたままの、山陰などには斑雪《まだ
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