しまいそうに感ぜられた。
「人になんか何んと思われたって、そんな事はどうでもいいじゃないの。」彼女は咄嗟《とっさ》に夫の言葉尻を捉えた。と同時に、彼女は夫に対する日頃の憤懣《ふんまん》が思いがけずよみ返って来るのを覚えた。それはそのときの彼女には全く思いがけなかっただけ、自分でもそれを抑える暇がなかった。彼女は半ば怒気を帯びて、口から出まかせに云い出した。「雪があんまり面白いように降っているので、私はじっとしていられなくなったのよ。聞きわけのない子供のようになってしまって、自分のしたい事がどうしてもしたくなったの。それだけだわ。……」菜穂子はそう云い続けながら、ふと此の頃何かと気になってならない孤独そうな都築明の姿を思い浮べた。そして何んという事もなしに少し涙ぐんだ。「だから、私はあした帰るわ。療養所の人達にもそう云ってお詫《わ》びをして置くわ。それなら好いでしょう。」
菜穂子は半ば涙ぐみながら、そのときまで全然考えもしなかった説明を最初は只夫を困らせるためのように云い出しているうちに、不意といままで彼女自身にもよく分らずにいた自分の行為の動機も案外そんなところにあったのではないかと
前へ
次へ
全188ページ中181ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング