「一体、わたしはもう一生を終えてしまったのかしら?」と彼女はぎょっとして考えた。「誰かわたしにこれから何をしたらいいか、それともこの儘何もかも詮《あきら》めてしまうほかはないのか、教えて呉れる者はいないのかしら? ……」
或日、菜穂子はそんなとりとめのない考えから看護婦に呼《よ》び醒《さ》まされた。
「御面会の方がいらしっていますけれど……」看護婦は彼女に笑を含んだ目で同意を求め、それから扉の外へ「どうぞ」と声をかけた。
扉の外から、急に聞き馴れない、烈しい咳きの声が聞え出した。菜穂子は誰だろうと不安そうに待っていた。やがて彼女は戸口に立った、背の高い、痩《や》せ細《ほそ》った青年の姿を認めた。
「まあ、明さん。」菜穂子は何か咎《とが》めるようなきびしい目つきで、思いがけない都築明のはいって来るのを迎えた。
明は戸口に立った儘《まま》、そんな彼女の目つきに狼狽《うろた》えたような様子で、鯱張《しゃちほこば》ったお辞儀をした。それから相手の視線を避けるように病室の中を大きな眼をして見廻わしながら、外套《がいとう》を脱ごうとして再び烈《はげ》しく咳き入っていた。
寝台に寝た儘、菜
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