んだろう。おれは宿屋なんぞより此処の方が余っ程好い。」彼はいまざらのように狭い病室の中を見廻した。
「一晩位なら、此処の床板だって寝られるさ。そう寒いというほどでもないし……」
 菜穂子は「まあ此の人が……」と驚いたようにしげしげと圭介を見つめた。それから云っても云わなくとも好い事を云うように、「変っているわね……」と軽く揶揄《やゆ》した。しかし、そのときの菜穂子の揶揄するような眼ざしには圭介を苛《い》ら苛《い》らさせるようなものは何一つ感ぜられなかった。
 圭介はひとりで女の多い附添人達の食堂へ夕食をしに行き、当直の看護婦に泊る用意もひとりで頼んで来た。

 八時頃、当直の看護婦が圭介のために附添人用の組立式のベッドや毛布などを運んで来て呉れた。看護婦が夜の検温を見て帰った後、圭介は一人で無器用そうにベッドをこしらえ出した。菜穂子は寝台の上から、不意と部屋の隅に圭介の母の少し険を帯びた眼ざしらしいものを感じながら、軽く眉をひそめるようにして圭介のする事を見ていた。
「これでベッドは出来たと……」圭介はそれを試めすように即製のベッドに腰をかけて見ながら、衣嚢《かくし》に手を突込んで何か
前へ 次へ
全188ページ中112ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング