そうに書いた。それが手紙を書く彼女の気持を佯《いつわ》らせた。若《も》し相手がそんな姑ではなくて、もっと率直な圭介だったら、彼女は彼を苦しめるためにも、自分の感じている今の孤独の中での蘇生の悦《よろこ》びをいつまでも隠《かく》し了《おお》せてはいられなかっただろう。……
「かわいそうな菜穂子。」それでもときどき彼女はそんな一人で好い気になっているような自分を憐むように独り言をいう事もあった。「お前がそんなにお前のまわりから人々を突き退けて大事そうにかかえ込んでいるお前自身がそんなにお前には好いのか。これこそ自分自身だと信じ込んで、そんなにしてまで守っていたものが、他日気がついて見たら、いつの間にか空虚だったと云うような目になんぞ逢ったりするのではないか……」
 彼女はそういう時、そんな不本意な考えから自分を外《そ》らせるためには窓の外へ目を持って行きさえすればいい事を知っていた。
 其処では風が絶えず木々の葉をいい匂をさせたり、濃く淡く葉裏を返したりしながら、ざわめかせていた。「ああ、あの沢山の木々。……ああ、なんていい香りなんだろう……」

 或日、菜穂子が診察を受けに階下の廊下を通って行くと、二十七号室の扉のそとで、白いスウェタアを着た青年が両腕で顔を抑さえながら、溜《た》まらなそうに泣きじゃくっているのを見かけた。重患者の許嫁《いいなずけ》の若い娘に附添って来ている、物静かそうな青年だった。数日前からその許嫁が急に危篤に陥り、その青年が病室と医局との間を何か血走った眼つきをして一人で行ったり来たりしている、いつも白いスウェタアを着た姿が絶えず廊下に見えていた。……
「やっぱり駄目だったんだわ、お気の毒に……」菜穂子はそう思いながら、その痛々しい青年の姿を見るに忍びないように、いそいでその傍を通り過ぎた。
 彼女は看護婦室を通りかかったとき、ふいと気になったので其処へ寄って訊《き》いて見ると、事実はその許嫁の若い娘がいましがた急に奇蹟のように持ち直して元気になり出したのだった。それまでその危篤の許嫁の枕もとにふだんと少しも変らない静かな様子で附添っていた青年はそれを知ると、急にその傍を離れて、扉のそとへ飛び出して行ってしまった。そしてその陰で、突然、それが病人にもわかるほど、嬉し泣きに泣きじゃくり出したのだそうだった。……
 診察から帰って来たときも、菜穂子はま
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