。……
そんな短い物語を聞きながら、私はお前は何んてまあ子供らしいんだろうと思った。そしてそれがいかにも自然に見えたので、この頃どうかするとお前は妙に大人びて見えたりしたのは全く私の思い違いだったのかしらと思われる位であった。そうして私はお前自身にもよく分らないらしかった、あの時の羞《はず》かしさとも怒りともつかないものの原因をそれ以上知ろうとはしなかった。
それから数日後、東京から電報が来て、征雄が腸カタルを起して寝こんでいるから、誰か一人帰ってくれというので、とりあえずお前だけが帰京した。お前の出発したあとへ、森さんからお手紙が来た。
先日はいろいろ有難うございました。
O村は私もたいへん好きになりました。私もああいうところに隠遁《いんとん》できたらと柄にないことまで考えています。然しこの頃の気もちは却《かえ》って再び二十四五になったような、何やら訣《わけ》の分らぬ興奮を感じている位です。
殊にあの村はずれで御一緒に美しい虹を仰いだときは、本当にこれまで何やら行き詰まっていたようで暗澹《あんたん》としていた私の気もちも急に開けだしたような気がしました。これは全くあなたのお陰だと思って居ります。あの折、私は或る自叙伝風な小説のヒントをまで得ました。
明日、私は帰京いたす積りですが、いずれ又、お目にかかってゆっくりお話したいと思います。数日前お嬢さんがお見えになりましたが、私の知らない間に、お帰りになっていました。どうなさったのですか?
私がこの手紙を読むそばに、若《も》しお前がおいでだったら、私にはこの手紙はもっと深い意味のものにとれたかも知れない。しかし、私一人きりだったことが、読んだあとで平気でそれを他の郵便物と一緒に机の上に放り出させて置いた。それが私にこの手紙をごく何んでもないもののように思い込ませて呉れた。
同じ日の午後、明さんがいらしって、お前がもう帰京されたことを知ると、そんな突然の出発が何んだか御自分のせいではないかと疑うような、悲しそうな顔をして、お上りにもならずに帰って行かれた。明さんはいい方だけれど、早くから両親を失くなされたせいか、どうもすこし神経質すぎるようだ。……
この二三日で、ほんとうに秋めいて来てしまった。朝など、こうして窓ぎわに一人きりで何んということなしに物思いに耽《ふけ》っていると、向うの雑木林の間から
前へ
次へ
全94ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング