になって来てからも、母はどうしても私を手放す気にはなれなかった。それかといって、いつまでも母子《おやこ》してその家にいることはなおさら出来にくかった。
とうとう母はひとり意を決して、誰にも知らさずに、私をつれてその家を飛び出した。私が三つのときのことである。丁度その頃堀の家には親類の娘で薫《かおる》さんという人が世話になっていた。その薫さんが私の母贔屓《ははびいき》で、すべての事情を知っていて、そのときも母の荷物をもって一しょについて来てくれた。麹町の家を出、母が幼い私をかかえて、ひと先《ま》ず頼っていったのは、向島の、小梅の尼寺の近所に家を持っていたいもうと夫婦――それがいまの田端のおじさんとおばさんで――のところだった。漸《ようや》っとその家に落ちついて、まあこれでいいと思っていると、突然薫さんが癪《しゃく》をおこして苦しみだした。それがなかなか快《よ》くならず、いつ一人で帰れるようになるか分からなかったので、とうとう役所に電話をしてすべてを浜之助に告げた。浜之助はすぐ役所から飛んできた。それが小梅のおばさんの家に浜之助のきた最初であり、また最後であった。夕方、ようやく薫さんの癪
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