った。それで、はじめのうちは来る人ごとに妻をひきあわせていたけれど、
「そうだ、父は死ぬかも知れないのだ」と思うと、すこしでも父のそばにいた方がいいような気がした。
 それからは私は妻のほうのことは田端のおばさんに一任して、自分はなるたけ父の枕《まくら》もとにいるようにしていた。云ってみれば、父がそうやっている私のことをなんにも知らずにいる、――それが私にそういうことを少しも羞《はに》かまずにさせていてくれた。
 向うの間で、いま妻はどうしているだろうかと私はときおり気にかけた。すると、その妻が知らないいろいろな人たちの間でまごまごしながら茶など運んでいるもの馴《な》れない姿が目に見えるようで、私はそれに何か可憐《かれん》なものを感じることが出来た。いきづまるような私の心もちが、それによって不意とわずかに緩和せられることもあった。
 父は四日目ぐらいから漸《ようや》く意識をとりかえしてきた。しかし、もうそのときは口は利《き》けず、右半身が殆《ほと》んど不随になっていた。いかにも変り果てた姿になってしまっていた。
 が、それなりに、父は日にまし快方に向った。
「この分でゆけば安心だ。」皆がそういい出した。

 私たちが漸っと信州の山の家にかえっていったのは、それから半月ほどしてからだった。父のほうがそうやってどうにか落ちついたとき、今度は私が工合を悪くした。それで、父のほうは親身に世話をしてくれる人々に托《たく》すことが出来たので、私たちは思いきって山の家にかえることにした。
 それに私は一日も早く仕事をしはじめなければならなくなっていた。自分たちの暮らしのためばかりでなく、こんどは病人のほうにも幾分なりと仕送りしなければならないので、私はどうしていいか、しばらくは見当のつかないほどだった。
 丁度そのとき或先輩が雑誌を世話してくれ、そこへ私は生れてはじめて続きものの小説を書くことになった。そのとき私はいまの自分の気もちに一番書きよさそうなものとして、自分の幼時に題材を求めた。一度は自分の小さいときの経験をも書いてみようと思っていたし、すこしまえにハンス・カロッサの「幼年時代」を読み、彼がそれをただ幼時のなつかしい想起としてでなしに、そこに何か人生の本質的なものを求めようとしている創作の動機に非常に共鳴していたので、こんどの仕事にはそう期待はかけられなかったが、とにか
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