鼬信じられない、その癖、どうも僕らがしたらしい、そして唯、僕らの粗雜な感覺がこれを氣づかないでゐたに過ぎないところの、さまざまな被害の苦情」が一ぱい書いてあつたさうであります。この話や、さつき眞夜中にプルウストの訪問を受けた友人の話(プルウストが歸つて行つたとき何んだか自分の部屋の、自分では氣づかないでゐた形だの、色だの、匂ひだのを持つて行かれたやうな一種の苛立たしさを感じたといふ)などから推して見ましても、確かにプルウストは他の人間の全く知らないやうな感覺の領分と交渉を持つてゐたことが理解できます。さういふ今まで誰もが語らうとしなかつた領分内のことを、プルウストは語らうとしましたから、甚だ不器用にしか語れなかつたのだと言ふことが出來ます。そしてさういふ不器用な、ぎごちないものこそは、プルウストに限らず、あらゆる獨創的な作家に背負はされてゐるところのものであると申しても差支へないやうであります。

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附記 「マルセル・プルウスト」はもうかれこれ十數年前の舊稿である。それ以來、私はいくたびかプルウストを讀み、そのつどこの大いなる作家に對する敬愛を深めて來た。今年の夏も私は一月ばかりプルウストを讀んでゐた。このごろの私にとつてはこの此類のない作家が彼獨自の新しい方法で絶えず人生の姿を明らかにしてゆく――その見事な過程のみならず、そこに漸次見出されてゆく人生の業苦のやうなものがひしひし胸に迫つて來るのである。いまの私はさういふプルウストについてこそ語りたい。――しかし、いまだ機會を得ず、此處にはこの舊稿をその儘載せておくことにした。(昭和十八年十二月記)
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底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
初出:「日本現代文章講座 鑑賞篇」厚生閣
   1934(昭和9)年5月19日
※初出時の表題は「マルセル・プルウストの文章」、「狐の手套」野田書房(1936(昭和11)年3月20日)収録時「プルウストの文体について」と改題、「曠野」養徳社(1944(昭和19)年9月20日)収録時「リラの花など――プルウストの文体について」と改題、「堀辰雄作品集第二・美しい村」角川書店(1948(昭和23)年10月30日)収録時「リラの花など」と改題
入力:tatsuki
校正:染川隆俊
2008年1月19日作成
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