A その本は何だい?
B これか。これはジャック・リヴィエェルの「フロオランス」といふ小説だ。これを書きかけで、この可哀さうな男は死んでしまつたのだ。
A リヴィエェルつて「エテュウド」を書いた奴かい?
B うん、あいつだ。あの「エテュウド」を飜譯した連中に云はせると、リヴィエェルなんていふのはまるで希臘神話の中の龜みたいな奴で、生れつき飛べないくせに自分でも飛ばうとして、鷲かなんぞに引張り上げて貰つたが、途中で墜落してしまやあがつたと云ふのだが、――ほら、そんな繪があの本の表紙についてゐたらう? ――隨分怪しからんことを云ふと思つて、すこしリヴィエェルが可哀さうになつてゐたが、どうもこの「フロオランス」なんか讀んでゐると、それも半ば肯定したくなつてくるね。……僕はずつと前から、この「フロオランス」といふ小説の草案のやうなものだけは知つてゐた。隨分面白いものになりさうで、大いに期待してゐた。それがやつと今年の春に――リヴィエェルが死んでからもう十年になるが、――單行本になつたので、早速取り寄せて貰つたのだが、讀んでみたら草案なぞで想像してゐたのとはまるつきり違ふ。期待が大きかつただけ
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