、それだけ失望も大きいのだ。
A そんなにつまらないのかい?
B うん。つまらないと云へばつまらないけれど、さう簡單にも片づけられないね。ただ、どうも僕の想像してゐたのとまるつきり違ふんでね。どう違ふかといふと、その草案などで見ると、リヴィエェルは非常に小説らしい小説――例へばメレディスみたいな客觀的小説を書きたがつてゐるのだね、少くとも讀者を「リヴィエェルではない何物かの眞中に投ずる」やうな小説を意圖してゐる、――が、出來上つたものは、いや出來上りかかつてゐたものは、まるで論文みたいな小説なんだ。どこまでもリヴィエェルがつき纏つてゐる。「エテュウド」の臭ひがする。これはエテュウド・プシコロジック[#「エテュウド・プシコロジック」に傍点]か。……しかし、途中でつまらなくなつて何度もはふり出さうと思ふんだが、それでもやつぱり最後までかうやつて讀んでゐる。何が僕にこの本を棄てさせないのかしらと、讀むのに倦いては考へて見るんだが、そんな時にひよつくり死を前にしながらこの小説を書いてゐるリヴィエェルの悲痛な姿が浮んでくることがある。……。僕は前に彼の妹の書いた囘想記を讀んだことがあるんだ。それに據ると、リヴィエェルは死ぬ一年ばかり前にこの仕事にとりかかつてからと云ふもの、それまで長いことすつかり失つてゐた少年時代の無邪氣な樣子、――殊に遊戲なんぞに夢中になつてたときのやうな樣子を取りもどし出し、さうしては口癖のやうに「僕にだつて小説が書けることを皆に分らせてやるんだ」と云つたり、「ああ早くこの本の出來上るのを見たいがなあ」と子供のやうに氣短かになつたり、又、ラジィゲの死んだ時は「僕もこんな風に死んでゆくんだよ」などと妹に云つたりしたさうだ。そんなに大事だつた小説を書きかけで死んで行かなけれはならなかつた男、しかもその書きかけの小説すら恐らく彼自身の期待からもひどく外れてしまつてゐたであらうこと、最後になつて遂に自分の才能を自覺しなければならなかつたこと、そんなことを考へたら誰でもこの小説を最後の頁(痛ましくも中絶されてゐる……)まで讀んでやりたくなるだらうぢやないか。すこし感傷的になつたが、もう止さう。さうして別の方から出なほさう。どうも僕はこんなことを喋舌つてゐるうちに、「フロオランス」にあるのはそんなものだけぢやないことに氣がつき出してきたんだ。――やつぱり、この小説な
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