端が半分ほど更に引きもがれているのに気がついた。私にはすぐ、あの薄月の微かに差している縁先きで頭の君が帰りぎわに何かしきりに口ずさまれて入らしった姿が思い出された。
 私はその頭の君に見られた紙片の丁度裏あたりに、あのとき自分で自分を嘲《あざ》けるように一ぱいに散らし書きをしたままであったのを、それまで忘れるともなく忘れていたのだった。――「いまさらにいかなる駒かなつくべき……」
 私はふと口を衝《つ》いて出たその文句が自分の胸を一ぱいにするがままにさせながら、なぜか知ら、撫子の悲しい目《まな》ざしを空《くう》に浮べ出していた。いまにも私に物を言いかけそうにして、しかしすぐに何んにも言うまいと諦めてしまうような、撫子のしおらしい目《まな》ざしが、それまでついぞそんな事はなかったのに、その夜にかぎって私の目のあたりからいつまでも離れなかった。

   その四

 その翌朝、頭《かん》の君《きみ》は道綱のところへ使いの者に、風邪気味で役所へ出られそうもありませんから一寸お出がけにでもお立ち寄り下さい、とことづけて来させた。ゆうべの出来事を少しも知らない道綱は、又例の事かと思ったらしく、いつ
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