あまりな出来事に心が擾《みだ》れて、そういう頭の君に対する思いがけない程のはげしい憤りやら、自分のした事に対する悔いやらを感ぜずにはいられなかったが、漸《ようや》くいつもの落着いた自分に立ち返った今はもう、何やら自分でもわけの分からぬ身の切なさを除いては、私の気もちも割合に静かになっている。
女房たちはそんな私に向って言うのだった。「もう御約束の日も間近かになっておりましたのに、あれほど御執心なすって入らしった姫君を措《お》いて、あの方とした事が、まあ何んという事をなすったのでございましょうね。本当にあまりといえばあんまりな……」私はそういう人々のおなじ繰り返しのような慰めの言葉はどうも無関心に聞き流しているよりしようがなかった。
が、そういう頭の君のこんどの唐突な振舞も、少くともいまの私にだけは、そうなさるべくあの方を余儀なくせしめたようなお心の動きの全然分からない事もないような気がする。否、むしろ、もう殆ど手に入れられるばかりになっていた撫子をいつまでもあの方に限りなく遠いところにあるかのように思わせ、あの方のお気もちをわざと焦《じ》らし抜いて、御自分で御自分がもう何を欲していらっしゃるのかさえ見分けられないようにおさせして、とうとうこんな思いがけないような結果にならせてしまったのは、この日頃の私、――いつの頃からか男という男のあらゆる運命に対してともすれば皮肉になりがちな、しかもそんな自分を自分でもどうしようもない、この私の所為《せい》だったのではなかろうか。そんな気にも私はどうかするとなり兼ねないのだった。……
そういう一抹の不安のないこともない私に、道綱が何かそわそわとして黙って一通の文を届けてくれたのは、丁度きのうの事である。まあ、おめずらしい、殿の、と思ったら、それは思いがけず頭の君のだった。しかし、道綱の手前、何気なさそうにして手にとって見ると、「本当にわれながら浅ましい姿になり果てました。いくら心にもないことだと私が申しましても、お聞き入れにはなさいますまい。こんなどうしようもない羽目にならない先きに、どうしてもう一度なりとあなた様のお目にかかってしみじみとお語らいしなかったのだろうと、悔やまれてなりませぬ。――」
そのあとに何やら歌のようなものが書かれてあって、その上が墨で消されてあった。私はその一部分を辛うじて判読した。「……をしむはき
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