只今のように空しく待たされて居りますると、どうもそれに一日一日と近づいて往かねばならぬのがいかにも緩《まだる》く、もどかしくて、反ってそれに近づけば近づくほどその日が遠のくように思われてなりませぬ。もういよいよと言うところまで待っても、私はそのとき自分が此どうにもならない堪え難さのためにどうかしてしまいはせぬかと不安で溜《たま》らないのです。どうか私からその不安を取り除くように、何とかお計らい下さいませんでしょうか」だんだん哀訴するような調子になって来ていた。
 そうなればなるほど、私はますます取り合わないように、「まさか私に殿の御暦の中を裁《た》ち切《き》って、すぐ八月が出るように、つないでくれと仰《おっし》ゃるのではないでしょうね?」と思わず笑いを立てながら言ったりした。
 頭の君はしかし、にこりともなさらずに、簾《みす》の方をじっと見つめて入らしった。そのため、私はその簾の中に自分の立てた笑いがいつまでも空虚《うつろ》にひびいているような気もちになったほどだった。私はそのときふいと殿の御手紙の事を思い出しながら、「それは御無理な事です。それに、この頃は殿にもこちらから御催促しにくいような事情になりまして……」
「それは又、どうなすったのですか?」頭の君は心もち縁からいざり寄られた。
 これはまだ言うのではなかった、と思ったけれど、私はすぐ又、そう、いっそ此事は早くお知らせしておいた方がよくはないかしら、とも思い直して見るのだった。しかし自分の口からはさすがに言い出しにくいので、その殿から寄こされた御文をそのまま、頭の君にお見せしたくないところだけ破り取って、「これを御覧なすって下さいまし。御目にかけてもしようのないものですけれど、まあ、これで殿に催促しにくい訣《わけ》がお分かりになるでしょうから――」と言いながら、簾の下から差し出した。
 頭の君はそれを手にせられると、ずうっと縁の先まで滑り出して往かれて、微《かす》かに差している月あかりにすかしながら、それをいつまでも見入っていられた。
 そうやってながいこと見て入らしった後、頭の君は何やら口籠りながらそれを簾の下から、こちらへ差し入れられた。それから漸《や》っと聞えるか聞えないほどの声で、「御料紙の色さえわかり兼ねます位で、折角ながら何んとも読めませんでした」と言って、再び縁の方へすさって往かれた。
 私は
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