ら仕舞いまで、それに思いがけない好意さえもちながら、黙って聞いていたが、漸《ようや》くそれを聞《き》き畢《おわ》り、こんどは自分が何か言わなければならない番になったけれど、やはり何んとしても私は「何を申そうにもまだ姫は大へん穉《おさな》いので、そう仰《おっし》ゃられるとまるで夢みたいな気がいたす程ですから――」とお答えしているより外はなかった。
 それは雨が乱れがちに降っている暮れがただった。あたり一めんを掩《おお》うように蛙の声が啼《な》き渡《わた》っていた。そのまま夜が更けてゆくようなので、さっきから庇の間に坐られたぎり、一向お帰りなさろうとする様子も見えない頭の君に向い、「こんなに蛙が啼いて、こうして奥の方にいる私どもでさえ何んだか心細い位ですのに。あなた様も早くお帰りになっては」と私は半ばいたわるように、半ばたしなめるように言った。
 頭の君の方では、そういう私の言葉をも反って身に沁むようにしていて、只「そういうお心細いような折こそ、どうぞこれからは私を頼りになすって戴きたいものです。そんなものなんぞ、私は少しもこわがりはいたしませんから――」と応《いら》えるばかりで、いつまで立ってもお帰りなさろうとはしないように見えた。だんだん夜も更けて来るようだし、皆の手前もあるので私は一人で困ってしまっていたが、それぎり物も言わずにいると、とうとう頭の君はお帰りなさるらしい気配を見せて、「助《すけ》の君《きみ》の御祓《おはらい》ももう間近かでお忙しいようですから、何か御用がおありになれば代りに私にお言いつけなすって下さい。これからは度々お伺いいたす積りです」と言い残しながら、漸《や》っとお立ち上がりになった。
 私は何気なしにその後姿を見ようと思って、ふと几帳の垂れをかき分けながらかいま見をすると、いま、頭の君のいらしった縁の灯はもうさっきから消えていたらしかった。私の座の近くにはまだ灯がともっていたものだから、それには少しも気がつかずにいたのである。それではさっきから闇の中で黙って頭の君は私の影を御覧になっていたのかと驚いて、私はあまりと言えばあまりな頭の君を「まあ、お人の悪い。灯のお消えになっているのを仰ゃりもしないで――」と鋭くたしなめるように言い放った。頭の君はしかし、それが聞えなかったようなふりをなすって、黙ったまま立ち上がって往かれた。
 私はその跡、自分
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