じ》めなさるのだった。
 その事がいつか姉のもとに来て入らしったいまひと方の御耳にもはいったと見え、「私もゆうべはわざと余所《よそ》で過して来ました。花があるので好んでこちらへ来ただけなのだろうなどと言われそうでしたから」などと、そのお方までがしたり顔にそんな事を言ってよこされた小憎らしさ。

 それからまだ二た月とは立たないうちに、私はいつのまにやら只一人で起き臥しする事の多いような身の上になりながら、姉の方へばかり絶えずいまひと方が出這入《ではい》りなすっていられるのを、胸のしめつけられるような気もちで見て暮していたところ、五月になると、そのお方さえも、まるでそう云う私をお避けなさりでもするかのように、余所へ私の姉をお連れして往ってしまった。それからは私はほんとうの一人ぎりになってしまったのだった。――が、こう云うはかない身の上になったのは、私ばかりではなく、私なんぞよりもずっと前からあの方がお通いになって、お子様などもたんとおありなさると云うお方のもとへも、この頃は全くあの方は絶えられているとお聞きして、ましてどんなにお心細い事だろうかと、おりおり消息などをさし上げては自分でもわずかに気を紛《まぎ》らわせようとしていた。が、おとなしそうなそのお方は、なぜか知ら(或は私だけが別して人の苦しみというものを過当に見るようなところがあるのだろうかしら)、いつも私の相手になるのをお避けになるような素気《すげ》ない御返事しかおよこしにならなかった。誰もかもみんなそういう私をお避けになったと見える。

 そのうちに六月になった。月初めからずっと長雨《ながさめ》が続き、此頃はとりわけてあの方もお見えにならなかった。
 これまでだったらこんなことは無かったのに、どうしたのか、私はまるで心が空虚《うつろ》になって、そこいらに置いてあるものさえ静かに見られない癖がついてしまっていた。「こんな風にしてあの方は私とお絶えなさるおつもりなのかしら。そうだとすれば、何かあの方の事を自分に思い出させてくれるようなものは残っていないかしら」なんぞと、そんな事まで考え出しながら、あの方がこうしてお離《か》れになればなるほど、あの方に対してついぞいままで覚えのなかった位にお慕わしさのつのって来るような自分をば、自分でどうしようもなくていた。すると十日ばかり立って、あの方から珍らしく御消息のあったの
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