も気の緩《ゆる》むような心もちのした事なんぞはついぞ無かったようにも思われた。これと云うのも、一体、以前から自分の心が驕《おご》っていたのだろうかしらん。ああ、こんな事になるなんて自分は夢にも思わなかったものを。それほどまで私は大きな夢を持ちつづけていたの。……
そんな雨がそのまま小止みなしに降りつづいているうちに、やがて灯ともし頃となった。南面《みなみおもて》には、この頃妹のところへお通いになって来られる御方がある。足音がするようだから、きっとその御方がおいでになったのだろう。私が「まあ、こんな雨だのによくいらっしゃるわね」と自分の沸き立つような心を抑えつけながら、独言のように言うと、私の前に坐っていた古女房が「昔の殿でしたら、これ以上の雨にだって、御いといなさらずにいらしったものですのに」とすこし泪《なみだ》ぐんで応えた。私はじっと無言のままでいたが、そのうちにふいと何か熱いものが頬を伝い出したのに気がついて、覚えず「思ひせく胸のほむらはつれなくて涙をわかすものにざりける」と口を衝《つ》いて出たままを口の中で繰り返し繰り返ししていた。そうしてとうとうその儘《まま》、そんな臥所《ふしど》でもない所で、私はその夜はまんじりともせずに過ごしてしまった。
その四
去年の春、呉竹を植えたいと思って人に頼んでおいたら、それから一年も立ったこの二月のはじめになって漸《や》っと「さし上げますから」と言ってきた。「いいえ、もう少しも長らえたいとは思えなくなりました此の世に、何でそんな心ないような事をして置けましょう」と私がことわらせると、「まあ、大へん狭いお心ですこと。あの行基菩薩《ぎょうぎぼさつ》は行末の人の為めにこそ、実のある庭木はお植えなされたと申すではありませんか」などと言い添えて、その木を送ってよこしたので、つい私もそれに気もちを誘われるがままに、「そう、此処はこの上もなくふしあわせな女の住んでいた所だと、見る人は見るがいい」と思って、胸を一ぱいにさせながら、それを植えさせた。
それから二三日して、雨がはげしく降り、そのうち東風までも吹き加わって来たので、あの呉竹はどうなったかしらと思って見やると、もうそれは二三本傾いてしまっていた。早く元のようにしてやりたいと思いながら、雨間《あまま》を待っているうちに、しかしこう云う自分だって、何時その行末はこんな思
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