お出《いで》になったかと思うと、又すぐお帰りになって往かれた。大かた私たちが心細がっているだろうとさえもお思いにはならないものと見える。いつも云いわけがましく「この頃は為事《しごと》が多いので――」などと仰ゃっては入らっしゃるけれど、まあちょっとでもこれに目をお留めなすったら、この数知れぬほどな蓬《よもぎ》よりもまさかお為事が多いとは仰ゃれまいにと、私はわが家の荒れ放題になった庭をいまさらのように見やっては、少し自嘲的な気持にもなって、それがますます荒れ果てるがままに任せておいた位だった。
そんな私に向って、「まだお若い身空ですのに、どうしてそのようにばかりして入らっしゃるのですか」と気づかっては、熱心に再婚などを勧めてくれる人もあった。それだのに、あの方はまたあの方で、「おれの何処が気に入らないのだ」と云った顔つきをなすって、少しも悪びれずにいらっしゃるので、本当にどうしていいのやら、私は思いあぐねるばかりだった。何んとかしてこの胸に余る思いをつぶさにこの人にも分からせようがものはないかと思えば思うほど、私はあの方に向っては一ことも物を言うことが出来ずにしまうのだった。
「今のようにときどき思い出されたように入らっしゃるよりか、いっその事もうすっかりお絶えになって下すった方がどんなに好いか知れやしない」などとまで私はその日頃考え出していたものだった。又意地の悪い事にはそんな時にかぎってあの方がひょっくりお見えになったりする。「どうして私のところへなぞ入らしったのですか」と云った顔をしたぎり、私が何も言わずにいるものだから、あの方も何だかひどく工合悪そうにしていらっしゃる。まあ、折角こうしてお出になっていられるのだから、こうばかりしていてもと、つい弱気になろうとする自分を、私は一生懸命に抑えつけて、あの方がいかにも物足らなそうにお帰りになるがままにさせている。……
そんな事ばかり繰り返しているうちに、とうとう或日などはあの方もすっかり気を悪くされたと見え、つと端《はし》の方へ歩み出されてから、幼い道綱をお呼び出しになって何か耳打ちをなすっていらしったが、そのままいつにない怨《うら》み顔《がお》をなされて出て往かれてしまった。あの子ははいって来るなり、私の前でしくしく泣いている。「どうしたの」と尋ねて見ても返事もせずにいた。あの方にきっとおれはもう来ないぞ、とでも
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