te〉と、――又或る時は同じ言葉を「美しかれ、悲しかれ」と。――ときには僕はその文句に「女のひとよ」という一語を自分勝手につけ加えて、口の中でささやいて見ることもある。そうすると僕の裡《うち》にいろんな事が浮んできたものでした。あなたがお書きになっていた、田端《たばた》や日暮里《にっぽり》のあたりの煤《すす》けたような風景や、みんなの住んでいた灰色の小さな部屋々々や、毎夜のようにみんなと出かけていった悲しげな女達の一ぱいいたバアや、それから、二三度そんな若い僕たちの仲間入りをして一しょに談笑せられていた芥川さんがすこし酔い加減になってそういう女達を見まわしながらふいと思い出されたように僕の耳にささやかれたその〈Sois belle, Sois triste〉という言葉だのが……
 それはボオドレエルの一行でした。そのあとでお書きになったものを見ると、そのときの芥川さんにはふいと思い出されたそのボオドレエルの美しい一行が、よほど深く胸におこたえになったものと見えます。
「美しかれ、悲しかれ」――ああ、本当にこの言葉くらい僕に自分の若い時分のことを、その苦痛も歓びも、一しょに思い出させるも
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