いと、つい読まずにしまって、あとで後悔することが多いのです。この頃は何かにつけて、もうすこし自分というものを突放して、他人というものに真面目に向わなければならぬと考えておりますが……
 作者にとっては何よりもうれしい御言葉をあなたが与えて下すった「かげろうの日記」も、私にとっては、先ず何よりも自分以外のものへの熱心な話しかけでありました。そうして私の話しかけた人達のなかから、数人の相当の年輩の女の方だけが私の問いにまさしく答えてくれました。私はあなたをもその一人に数えることが出来るのだと知って、いま、その事でどんなによろこんでいるか、殆どお分りにならない位でしょう。――そういう本当の読者がまだ少なくて、ほんの数人きりであったにせよ、それだけでも私の仕事の自分に対する意義はあったのだと思えるのです。
 この私のはじめての他人への話しかけであった作品、及びこれからの私のしようとしている長い他人との対話[#「長い他人との対話」に傍点]であるべき新しい仕事から見れば、これまでの「美しい村」や「風立ちぬ」なんぞは、ほんの私のモノローグに過ぎぬでしょう。いつかまた、さまざまな見知らぬ他人との対話だとか、他人の悲劇への参加(けれどもそれ等の差し出がましい助言者にも、又ひややかな目撃者にもなりたくはない、ただその傍らにじっとしていて、それだけでもって不幸な人々への何かの力づけになっているような者になっていたい……)だとかの後に、そういうもっと静かな、もっと力と諦《あきら》めに充ちたモノローグに帰って行くかも知れませんが。
「風立ちぬ」を書き上げたあとで、一年ばかり山のなかに孤独に暮してから、ようやく他人の方へ目を向けるようになり、なにかそれに話しかけたいような欲望を感じながら、「かげろうの日記」を書いた一方、それと殆ど同時に私は一人の女性と結婚いたしましたが、それも私にとっては自分のそういうささやかな成長に役立たせたかったからにほかなりませんでした。
 ジャック・シャルドンヌと言う仏蘭西《フランス》の作家がその恋愛論を述べた小さい本のなかで、「恋愛というものに対する自分の考えはいろいろに変化してきた。最初は、それは創造することなのだと考えた。それからそれは完全というものを好むことなのだと考えるようになった。が、最後にそれは反対に、一人の女性をあるがままに受け入れること、即ち何処から
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