似していると思量するに至らしめるのであるかを、探究しなければならぬ。もちろん私は自然によってかように教えられたと思われるのである。なおその上に、私はそれらの観念が私の意志に、従ってまた私自身に依繋しないことを経験する。というのは、それらはしばしば私の意志に反してさえ現われるからである。例えばいま私は、私が欲すると欲しないとにかかわらず、熱を感じる、そしてそのために私は、この感覚、すなわち熱の観念が、私とは別のものから、言うまでもなく私がそのそばに坐っている火の熱から、私にやってくると考える。そしてかかるものが他の何物でもなくむしろ自己のかたどりを私のうちへ送り込むと私が判断するということよりももっともなことはないのである。
いま、これらの根拠が十分に確固たるものであるかどうかを検べてみよう。私がここで、私は自然によってかように教えられた、と言う場合、それはただ或るおのずからなる傾動によって私がこれを信じるようにせられたということを意味するのであって、或る自然的な光によって真であると私に明示せられたということを意味するのではない。この二つのことははなはだ異なっている。すなわち、自然的な
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