蜜蝋ではないということはあり得る、私が何らかのものを見る眼を決して有しないということはあり得る、しかし、私が見るとき、あるいは(いま私はこれを区別しないが)私は見ると私が思惟するとき、思惟する私自身が或るものでないということは、まったくあり得ないのである。同様の理由で、もし私が蜜蝋に触れるということから、蜜蝋が有ると判断するならば、同じことがまた、すなわち私は有るということが結果する。もし私が想像するということから、あるいは他のどんな原因からであっても、蜜蝋が有ると判断するならば、やはり同じことが、すなわち私は有るということが結果するのである。しかも蜜蝋について私が気づくまさにこのことは、私の外に横たわっている余のすべてのものに適用することができる。そしてさらに、もし蜜蝋の知覚が、単に視覚あるいは触覚によってのみでなく、いっそう多くの原因によって私に明瞭になった後、いっそう多く判明なものと思われたならば、今やいかに多くいっそう判明に私自身は私によって認識せられることか、と言わなければならぬ。というのは、蜜蝋の知覚に、あるいは何か他の物体の知覚に寄与するいかなる理由も、すべて同時に私の精
前へ
次へ
全171ページ中52ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
デカルト ルネ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング