これらの観念からのほか、他のどこからも知識を得なかったゆえに、かかるものがこれらの観念に類似しているというよりほかの考えは私の心に浮かび得なかったのである。なおまた私は、私が以前に理性よりもむしろ感覚を使用したことを想い起したし、また自分で作り出した観念が感覚によって知覚した観念ほど明瞭なものでなく、そして前者の多くが後者の部分から構成せられていることを見たゆえに、私は、私がまず感覚のうちに有しなかったところのいかなる観念も私はまったく悟性のうちに有しないということをば、容易に自分に説得したのである。さらにまた、私が或る特殊の権利をもって私のものと称したところのこの身体は他のいずれの物体よりもいっそう多く私に属すると私が信じたのは理由のないことではなかった。なぜというに、私は身体からは、その他の物体からのように、決して切り離され得なかったし、また私はすべての欲望や情念を身体のうちにかつ身体のために感覚したし、そして最後に私は苦痛及び快楽のくすぐりを身体の部分において、身体の外に横たわる他の物体においてではなく、認めたからである。しかし何故に、この何か知らない苦痛の感覚から心の或る悲しみが生じてくるのか、また快いくすぐりの感覚から或る悦びが生じてくるのか、あるいは何故に、私が飢えと呼ぶこの何か知らない腹部のいらだちは私に食物を取ることについて忠告し、咽喉の乾きはしかし飲むことについて忠告するのか、その他これに類することが生じるのは何故であるかについては、私は自然によってこのように教えられたからという以外、実に私は他の説明を有しなかった。なぜなら、腹部のいらだちと食物を取ろうとする意志との間には、あるいは苦痛をもたらすものの感覚と、この感覚から出てきた悲しみの意識との間には、いかなる類同も(少くとも私の理解し得たような類同は)まったく存しないからである。むしろ、私が感覚の対象について判断したその他の一切のこともまた、自然によって教えられたように思われたのである。というのは、私は、それら一切のことが私の判断したごとくであるということをば、まさにこのことを証明する何らかの根拠を考量するよりも前に、自分に説得したのであるから。
 しかるにその後多くの経験が、次第次第に、感覚に対して私の有したすべての信頼を毀していった。なぜなら、時々、遠くからは円いものと思われた塔が、近くでは
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