れが私とは別の或るものに懸っているということが帰結するように思われる。しかも、もし何らかの物体が存在していて、精神がこれをいわば観察するために随意に自己をこれに向け得るというように、これに精神が結合せられているならば、まさにこのことによって私が物体的なものを想像するということは生じ得ること、従って、この思惟の仕方が純粋な悟性作用と異なるのはただ、精神は、理解するときには、或る仕方で自己を自己自身に向わせ、そして精神そのものに内在する観念の或るものを顧るが、しかるに想像するときには、自己を物体に向わせ、そしてそのうちに、自己によって思惟せられた、あるいは感覚によって知覚せられた観念に一致する或るものを直観する、ということに存すること、を私は容易に理解する。私は言う、もしたしかに物体が存在するならば、想像力がこのようにして成立し得ることを私は容易に理解する、と。そして想像力を説明するにいかなる他の同等に好都合な仕方も心に浮ばないゆえに、私は蓋然的にそこから、物体は存在する、と推測する。しかしそれは単に蓋然的である。そして、たとい私が厳密にすべてのものを調べても、私の想像力のうちに私が発見するところの物体的本性の判明な観念からしては、何らかの物体が存在することをば必然的に結論するいかなる論拠も取り出され得ないということを私は見るのである。
しかるに私は、純粋数学の対象であるところのこの物体的本性のほかに、どれもこれほど判明にではないが、他の多くのものを、例えば、色、音、味、苦痛、及びこれに類するものを、想像するのを慣わしとしている。そして私はこれらのものをいっそうよく感覚によって知覚し、これらのものは感覚から記憶の助けを藉りて想像力に達したと思われるゆえに、これらのものについていっそう適切に論じるためには、同時にまた感覚についても論じなければならず、そして私が感覚と称するこの思惟の仕方によって知覚せられるところのものからして、物体的なものの存在を証すべき何らかの確実な論拠を得ることができるかどうかを見なければならぬ。
そしてもちろんまず第一に、私はここで、以前に、感覚によって知覚せられたものとして、真であると私の思ったものはいったい何であるか、またいかなる理由で私はそれをそう思ったのか、を自分に想い起してみよう。次にまた、どういうわけで私はその同じものに後になって疑い
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