てらつしやることも、私が生涯を共にすることの出來る人のやうぢやありません。恐ろしい騷ぎが通りすぎてしまつて――私にでなくあなたご自身に――もう大丈夫となると――あなたは平氣な顏をしてどこを風が吹いたかといふ風にしていらつしやる。私はまたもとの雲雀や人形になつてしまふ――弱い脆い人形だといふので、これからは前よりも一倍いたはつてやらうとおつしやる(立上り)あなた、この時に私は目が覺めました。この八年といふもの、私は見ず知らずの他人とかうやつて住んでゐて、そしてその人と三人の子供まで作つた。あゝ、そのことを考へると私は耐らなくなつて――自分の身を引き裂きたいやうに思ひます。
ヘルマー (悲しげに)わかつた。私達の間には深い淵が出來たのだ。けれどもノラ、その淵は何とかして埋まらないものだらうか?
ノラ 今では、あなたの妻になれません。
ヘルマー 俺は生れ變つたやうな別の人になる力を持つてゐる。
ノラ さうかも知れません――人形と縁を切つてからはね。
ヘルマー 縁を切る――お前と縁を切る。駄目だ、ノラ、駄目だ、俺はそんなことは考へられない。
ノラ (右手の室に入りながら)仕方がありません、理由があれば、どんなことでも起つてきます。
[#ここから3字下げ]
(ノラは、外出仕度の物と小さい旅行鞄を持つて出てきて、それを椅子の上に置く)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
ヘルマー ノラ、ノラ、今でなく明日まで待つてくれ。
ノラ (外套を着ながら)他人の家に寢ることは出來ません。
ヘルマー けれども、兄と妹のつもりで住つては行けなからうか?
ノラ (帽子を冠りながら)そんなことが長續きするものでないのはわかつてゐませう。あなた、左樣なら、いゝえ、子供の方には行きません。あれ達は私が世話をするよりも却つてよく世話して貰つてゐます。今の私の身では、子供達に何の役にも立ちません。
ヘルマー しかしいつかは、ノラ、いつかは――
ノラ そんなことがどうしてわかりませう。私は自分がこれからどうなることやら、少しもわかつてはゐません。
ヘルマー (大聲でわめく)だが、お前はいつまでも私の妻だ。
ノラ あなた、よく聞いておいて下さい。とにかく私にあなたの義務をすつかり無くして下さいますなら、私が自由なのと同じに、あなたも自由にして下さい。お互に少しも制限を置か
前へ 次へ
全74ページ中72ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
イプセン ヘンリック の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング