うじ》と雖《いへど》も怠《おこた》りたる事《こと》あらず。此《この》地《ち》には未《いま》だ井戸《ゐど》なきを以《もつ》て、斗滿川《とまむがは》に入《い》りて行《おこな》へり(飮用水《いんようすゐ》も此《この》川《かは》の水《みづ》を用《もち》ゆ)。此《この》地《ち》の冬季《とうき》の寒威《かんゐ》は實《じつ》に烈《はげ》しく、河水《かすゐ》の如《ごと》きは其《その》表面《へうめん》氷結《へうけつ》して厚《あつ》さ尺餘《しやくよ》に到《いた》り、人馬《じんば》共《とも》に其《その》上《うへ》を自由《じいう》に歩《あゆ》み得《う》。冬時《とうじ》此《この》河《かは》に灌水《くわんすゐ》を行《おこな》ふには、豫《あらかじ》め身體《しんたい》を入《い》るゝに足《た》る孔穴《こうけつ》を氷《こほり》を破《やぶ》りて設《まう》け置《お》き、朝夕《あさゆふ》此《この》孔穴《こうけつ》に身《み》を沒《ぼつ》して灌水《くわんすゐ》を行《おこな》ふ。
斗滿川《とまむがは》は余《よ》が家《いへ》を去《さ》る半町餘《はんちやうよ》の處《ところ》に在《あ》り。朝夕《あさゆふ》灌水《くわんすゐ》に赴《おもむ》くに、如何《いか》なる嚴寒《げんかん》大雪《おほゆき》の候《こう》と雖《いへど》も、浴衣《ゆかた》を纒《まと》ひ、草履《ざうり》を穿《うが》つのみにて、他《た》に何等《なんら》の防寒具《ばうかんぐ》を用《もち》ゐず。
冬曉《とうげう》早《はや》く蓐《じよく》を離《はな》れて斗滿川《とまむがは》に行《ゆ》き、氷穴中《へうけつちゆう》に結《むす》べる氷《こほり》を手斧《てをの》を以《もつ》て破《やぶ》り(此《この》氷《こほり》の厚《あつ》さにても數寸餘《すうすんよ》あり)身《み》を沒《ぼつ》し、曉天《げうてん》に輝《かゞや》く星光《せいくわう》を眺《なが》めながら灌水《くわんすゐ》を爲《な》す時《とき》の、清爽《せいさう》なる情趣《じやうしゆ》は、實《じつ》に言語《げんご》に盡《つく》す能《あた》はず。

      第二

昨《さく》三十七|年《ねん》十二|月《ぐわつ》某夜《ばうや》の事《こと》なりき、例《れい》の如《ごと》く灌水《くわんすゐ》を了《を》へて蓐《じよく》に入《い》り眠《ねむり》に就《つ》きし間《ま》もなく、何者《なにもの》か來《きた》りて余《よ》に七福《しちふく》を與《あた
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
関 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング