に日中には労に当り自らも大なる困苦を覚ゆるも、少しも屈せずして実行するには、恰《あだか》も地獄の苦みもかくやあらんと思うのみ。然れども予《あらかじ》め决する事たるを以て、生活する間は耐忍するとせり。然るに夜《よ》に入《い》り臥床《がしょう》に就く時は、熟眠して快き夢ありて、此れぞ極楽界たるを覚えたり。故に予は地獄と極楽とを一昼夜の間に於ける実地に於けるを感ぜり。依て自ら心に誇る処あり。ああ予は甞《かつ》て徳島に在るの時に於て、七十歳を以て古稀と自ら唱えて、僅少なる養老費あるを以て安堵して孫輩《まごら》の顔を眺めて楽みとし、衣食住の足れるを満足とする事に至るのみに止《とど》まりて、此牧塲を創起して意外の金員を消費しつつ、かかる困苦に当る事無くんば、かかる毎夜の極楽園裡の熟眠にて快楽ある夢をみる事もあらざるべき乎と熟考する時は、ああ予は大幸福と云うべき乎、或は大不幸と云うべきかと、自ら一種言うべからざるの感あり。然れども人たる者は生活間は苦んで国に対し亦世に対するが為めに労苦を実行するは此れ人たるの本分なりとする時は、或は不幸にはあらずして却て大幸福なりとすべく、予は大満足として、生活間に
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