し、父母の孝養を厚うし、下《しも》は子孫の教育を厳にし、永遠なる幸福の基礎を定め、勤倹平和なる家庭と社会とを立て得るに至らん事を祈るなり。
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明治三十八年 積善社発起 七十六老 白里《はくり》 關寛
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此際亦胃痛あり。
八日、又一出征の報あり。依て餅をつきて祝う。
創世記を読み、創業を銘記せり。
十月|一日《いちじつ》、清水沢にて紅葉を観る。帰路迷う。一同に心配をかける。
十五日、寛は足寄帯広方面に出で、二宮農塲に滞留。
十一月、寛は六日帰塲す。
此際|約百記《ヨブき》を読み、牧塲維持の困難を悟る。
(五)
明治三十九年一月一日
例により斗満川の氷を破り、氷水《ひょうすい》に入り、灌漑して爽快を覚えて、老子経を読み、左《さ》の語の妙味を感ぜり。
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不失其所者久《そのところをうしなわざるものはひさしく》、 死而不亡者寿《ししてほろびざるものはいのちながし》
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十九日、雪深くして川に行く事難し。依て雪中に転んで灌漑に代う。
二十日、瑞※[#「日+章」、第3水準1−85−37]と北宝とが前脚《ぜんきゃく》を挙げて恰《あだか》も相撲の如くして遊ぶを見て楽《たのし》めり。
三月十日、栃内《とちうち》氏より電報あり、又一室蘭迄帰ると。
赤飯を製して一同に祝せり。
三十日、川氷解け初めたり。
四月四日より日々南方を眺め、或はニタトロマップ迄行きて、又一が帰るを待つ。
十三日、後二時、又一無事帰塲す。
底本:「命の洗濯」警醒社書店
1912(明治45)年3月12日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「減」と「※[#「冫+咸」]、「恥」と「耻」の混在は、底本通りです。
入力:小林繁雄
校正:土屋隆
2005年3月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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