於て地獄と極楽との真味を最も能く知れるを以て大に誇る処也。
六月二十七日、土人イカイラン熊の子二頭を馬の脊《せな》に載せて持来《もちきた》れり。此際は蓬と蕨とを採るに忙《いそがし》く、日々干し面白く、働くには頗る困難なるも、創世記を読みて古今同く労苦と厄難と人害とは此れ創業の取るべきを感悟して最も満足せり。
此際には豆類|甘藍《きゃべーじ》等に兎と鼠と日中にても群を為して来り食するや実に驚くのみ。依て百方其害を防ぐに忙きも、其効を見る事能わざるなり。
七月三日、一奇遇あり。一官吏来り泊す。伴《ばん》氏と告ぐ。然るに予は先年|伴鐵太郎《ばんてつたろう》なる者を知れり。故に伴鐵太郎なる者を知るやと問うたり。然るに伴鐵太郎の二男なりと。予は甞《かつ》て長崎に在りし時、幕府の軍艦にて咸臨丸《かんりんまる》は長崎滞泊中は該艦に乗組の医官無くして、予は臨時傭として病者及び衛生上に関する事を取りたる事あり。其際伴氏は上等士官として艦長の代理たり。其際には最も親《したし》く且つ予と年齢も同《おなじ》きを以て最も親くせり。爾後政府も代り、数十年《すじゅうねん》を経て互に其音信を為せる事ありしも、然るに偶然に同氏と面会するに、かかる山間なる僻地に既往を伴氏の実子と語る事あるの奇遇を感じたり。
七日、三角測量吏吉村氏は※[#「陸」の「こざとへん」に代えて「冫」、201−1]別山に三角台を建《たつ》るが為めに来泊す。
此際道路新設にて、請負人堀内組病者多しとて、藤森彌吾《ふじもりやご》氏を以て頼み来れり。此れ我牧塲に向うて道路新設たるを以て、喜んで諾す。
此際土方人夫は逃げて北見に走る者多く続いて来り、予が一名にて留守するに当りても来り強て喰物を乞わるる事あり。或は川をわたり、或は裏口より突然に来《きた》るあり。或は跡より追い来るの人あり。其混雑なるは実に一種の世界たるを覚えたり。
八月廿七日、初雪あり。
九月十六日、堀内組病者診察として愛冠《あいかっぷ》に行くに、道を曲げて「ニオトマム」に馬匹を見んが為めに、「ヤエンオツク」を同行せり。王藏が番小屋に泊す。傍らに土人の小屋を立ててヤマベを捕るあり。其の小供は裸体にて山中をかけ走るを見る。ヤマベを釣り、味噌汁に五升芋とヤマベを入れて煮たる汁を喰す。最も妙味あり。且つ予は倒れたる枯木《こぼく》の丸太橋を彼方《かなた》此方《こなた》と小川をわた
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