に死の觀念に關しても、理解の基本的制約をなすことが明かであらう。しかもここではその同一性は最も徹底的なる形において承認を要求する。自然的生及びそれの自己主張が人間的生のあらゆる形態あらゆる現象の基體乃至根源であることは、他の場合にも勿論看取される事柄であるが、ここにおいてほど痛切に強烈に自覺を促しつつ生の中心に迫り來る處はないであらう。
 死は時間性の徹底化である。從つて時間性の克服は死のそれにおいてはじめて完きを得、逆に又死の克服は時間性のそれによつてはじめて成就される。ここよりして次の事どもが歸結される。第一。時間性及びそれに基づくこの世の苦惱はややもすれば死そのものによつて克服されるが如く思はれ易い。死をもつて生の一種の形とする思想がいかに根強く人心を支配しをるかを思へば、この考へ方感じ方が通俗的に揮ふ勢力は首肯かれる。しかしながらそれが全く錯覺に過ぎぬことは上の論述によつてすでに明かにされた。尤もその思想の一理あるは許容すべきであらう。死は他者よりの離脱として主體にとつてはたしかにこの世を去るを意味する。死は或る意味においてはたしかに時間性及びこの世の苦惱よりの解脱である。ただ
前へ 次へ
全280ページ中98ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
波多野 精一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング