空間的の或る規定例へば長さといふが如きものに置換へられるであらう。そこには嚴密の意味の方向即ち時の不可逆性は存在せず、いかなる變化も運動も逆に元に戻すことが可能となるであらう。現に物理學の基本的法則が時の方向に對して全く無頓著であるとは學者の説く所である(一)。時を全く空間に還元し四次元の世界を説くことが、自然科學説として正しいか否かはその道の人の判斷に委ねらるべきであらうが、かくの如き思想そのものが時間性の客觀化を極端化したものとして優に成立し得ることは疑ひの餘地が無い。
 しかしながら客觀的時間は空間ではない。それは、空間化され殊に空間的像を借りずには表象し得ぬものであるが、依然時間である。主體は姿を隱くさうとはするが決して自ら無きものにしようとはしない。客觀的時間が文化的時間の變種である限り、文化的生從つて又自然的生の主體は儼然蔭に立つてゐる。そのことによつて、一切を包括する等質的なる内部的分化を有せぬ現在は、一定の方向を得、一定の方向を取つて動くもの流れるものとなる。かくて時の流動推移が成立つ。但し嚴密の意味における時の内部的構造、過去と將來との律動、はもはや逝きて歸らぬものと
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